人々の力になること、
これは人類の
共通の義務なのです。
マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー
現在のポーランド(ポーランド立憲王国)
出身の物理学者・化学者である。
フランス語名はマリ・キュリー。
キュリー夫人 として有名である。
放射線の研究で、
1903年のノーベル物理学賞、
1911年のノーベル化学賞を受賞し、
パリ大学初の女性教授職に就任した。
1909年、アンリ・ド・ロチルド (1872-1946) から
キュリー研究所を与えられた。
放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。
女性として
学問の世界において、
20世紀初頭は未だ女性に対する偏見が
存在した時代だった。
マリ・キュリーの履歴には数多くの
「女性初」という言葉がつくが、
これはジェンダーを根拠とする理不尽な扱いを
受けながらもそれに毅然とした態度で臨んだ結果でもある。
最初のノーベル賞受賞は、
1902年に提出された
フランス病理学者シャルル・ブシャールの推薦による。
しかし、翌年フランス科学アカデミーが申請した
推薦状ではマリだけが意図的に外されていた。
決定においてスウェーデン科学アカデミーの
数学者ヨースタ・ミッタク=レフラーが
ブシャールの推薦を根拠に強く推したことで
マリも受賞対象となったが、
フランス科学アカデミーには女性蔑視の
風潮があったことを示す。
これは受賞後のマスコミの論調にも見られた。
このような中、
マリは夫と自分それぞれの功績を
区別して強調するようになった。
ピエールもそれを尊重し、同じ態度を取った。
ピエールの逝去と不倫報道
1906年に入り、夫妻は相変わらず多忙だった。
それは4月19日木曜日に起こった。
雨模様の日、ピエールはさまざまな予定をこなし、
馬車が行き交う狭いドフィーヌ通りを横断していた際に
6トンの荷物を積んだ荷馬車に轢かれ、
46歳で死亡した。
1911年、
有名人のスキャンダルを売りに
購買欲を掻き立てていた当時の新聞が、
11月4日付け記事でマリの不倫記事を大々的に掲載した。
相手は5歳年下、ピエールの教え子ポール・ランジュバン。
彼は既婚だったが夫婦間は冷めて別居し、
裁判沙汰にまでなっていた。
報道は、ランジュバンに宛てたマリの手紙を暴露し、
他人の家庭を壊す不道徳な女とマリを糾弾した。
その後も報道は続き、
またも彼女をユダヤ人だ、
ピエールは妻の不倫を知って自殺したのだと、
あらぬことを連日のように書き立てた。
この騒動の渦中の11月7日、
スウェーデンからノーベル化学賞授与の電報が入った。
理由は
「ラジウムとポロニウムの発見と、
ラジウムの性質およびその化合物の研究において、
化学に特筆すべきたぐいまれな功績をあげたこと」
として新元素発見を取り上げて評価していた。
誹謗中傷の中で2度のノーベル賞受賞が決まった際、
マリは、
科学者とはその業績によって評価されるべきであり、
性別や出身および私生活などではないという
強い意志を持ち、誇りを持って記念講演を行った。
ただし、「キュリー夫人」という呼称は
夫に従属する妻という意味ではなく、
これはマリ自身が中学時代の友人に
婚約を知らせる手紙の中で、
「次に会うときには姓が変わっています」と書き
「キュリー夫人。これが私の新しい名前です」
と自ら使っている。
研究者は
「人々に力になること」
を信念に地道な研究を何年も重ねる。
ノーベル賞はその最高の栄誉である。
しかしキュリー夫人は、それを
「人類の共通の義務である」
と言っている。
それは私にとっても義務なのだと・・・・!
2021年6月19日
政府の新型コロナウイルス感染対策分科会の
尾身茂会長ら専門家有志は18日、
東京五輪・パラリンピックについて、
無観客が最もリスクが低く、望ましいとする提言をした。
尾身氏は
「感染拡大のリスクをどのように軽減し、
どのような状況人なれば強い措置を講じるのか。
(政府や主催者は)
考え方を早急に市民にお知らせ願いたい」
と述べた。
今に至っても、
分科会の提案ではなく専門家有志の提言である。
分科会の役割が全く見えて来ない。
それ分科会は提案だけで実行は菅首相の判断によるからだ。
感染対策は単純に疫病対策の観点から、
強制力を持たせる必要があるのではないか・・・・!
ウイルス感染の脅威は今後も続く。
法整備等を次期政府(首相)にお願いしたいものだ!
それをだれに託すか・・・・?
雨が降っっているので、
午前中はゴルフの練習に。
夕方1回目のコロナワクチン接種に行く。
町内にかかりつけ医院がないので、集団接種を予約している。
既に1回目を接種した長野の弟夫婦の情報では、
接種後ポカリを飲むと副反応を和らげる効果があるらしい!
アクエでもいいのかなぁ・・・・・?