どこにでもゐる顔多し菖蒲園
鑑賞: 季語は「菖蒲園」で夏。
最近、こういう何でもないような句が気になる。
「どこにでも」ありそうで、どこにも無い句だ。
初心者は、こういう句をまず絶対に作らない。
いや、作れない。
というのも、
誰だって「どこにでもゐる顔」という思いはあっても、
いざ作品化するとなると、
待てよと立ち止まってしまうからだ。
「どこにでもゐる顔」なんて、
本当はありっこないじゃないか。
みんな、他ならぬ自分も含めて、
それぞれが違う顔を持っているではないか。
だから、ふっと「どこにでもゐる顔」と感じるときがあったとしても、
いざ作品にするときには逡巡してしまうのだ。
文字にする瞬間とは不思議なもので、
ひどく神経質になってしまう。
むろん、「どこにでもゐる顔」なんてあるはずがない。
でも、私たちはつい「どこにでもゐる顔」と
実感することがあるのは否定できない。
だったら、「どこにでもゐる顔」は
みずからの現実には存在するのだし、
掲句のように書いたって構わない理屈だ。
が、私もまた、なかなかこうした書き方ができないでいる。
何故に逡巡するのか。
自分で自分が歯がゆくなる。
「どこにでもゐる顔」と感じる状況の必然性については、
ある程度はわかっているつもりだ。
でも、そう書くことははばかられる。
本当は、何故なのだろうか。
ただ、作者も「どこにでもゐる顔多し」と書いている。
「多し」は、やはり少しばかりの逡巡のなせる措辞だろうと思った。
なんとなく句が可愛いく感じられるのは、
このちょっぴりの逡巡のせいなのかもしれない。
『吟遊』(1993)所収。
(清水哲男)
さぬき市長尾町にある亀鶴公園で
毎年6月の第一・第二日曜日にショウブまつりがある。
約250種類1万5000株の花菖蒲が3000平方mの園内に、
紫、白、黄色、ピンクと色とりどりに咲き誇り、
来場者の目を楽しませてくれる。
期間中の日曜は多彩なイベントが行われる。
今年もやはりコロナの影響でイベントなどは無いかも・・・?
私は混雑を避け平日に行くことにしている。
そこで、揚げ句のような
「どこにでもいる顔」に出会う、少ないが・・・・!
2021年5月7日
昨日は人間ドックに行って来た。
混雑を避けるため受付を
7:45~8:15、8:15~8:45、9:00~9:30
に分けてそれぞれ50人、計150人が予定されていた。
私は53番目で8時15分に入館して、
9時半には全て検査を終えて弁当を受け取って帰宅した。
タン(3日分)・便(2日分)・尿(1日分)の検査キットを持ち込み、
①問診票の確認
②血液採取
③身長・体重・腹囲・血圧測定
④眼底検査
⑤胸部X線
⑥心電図
⑦内科問診
⑧腹部エコー検査
⑨胃バリューム検査
は殆ど待たされることは無かった。
当日確認できた項目
身長170.4cm(-0.1cm)
体重74.9kg(-1.3kg)
腹囲89.7cm(-0.8cm)
血圧 上128 下83
心電図・・・・不整脈(現在通院中)
3か月間のプチダイエットの効果はあったようだ。
ただし○○製薬のタブレットを3カ月間飲ん割に、
腹囲、内臓脂肪、体脂肪の減少が・・・・・?
まぁ、私には合わなったという事で、
定期購入コースは止めるつもりである。
検査結果は5月下旬ごろに送付されるだろう。
アルコール30%カットは続けているので、
肝機能 γーGTP 55(~50)
脂質 総コレステロール 228(140~199)
腎機能 クレアチニン 1.07(~1.00)
の改善を期待している。
午前中はゴルフの練習に。
