天女散花(てんにょさんか)
中国古代の典故であり、同時に故事成語で伝説である。
この物語を元にした京劇・黄梅戯・壁画も多い。
「天女散花」という言葉は、
元々は仏教の経典である「維摩経」の
「観衆生品」の物語から来ている。
百花仙子という天女が散花して菩薩や声聞弟子の道行を試すと、
花は菩薩の体からは離れたが、
声聞たちの体についた花はくっついて離れなかったというものである。
百花仙子(ひゃっかせんし)
中国神話に登場する蓬莱山に住む仙女。
李汝珍による伝奇小説『鏡花縁』でも登場する。
百人の花の精に統括する花神。
声聞(しょうもん)
仏教用語で、
仏陀の教えを聞く者、仏陀の声を聞いた者の意で、
仏の教えを聞いてさとる者や、
教えを聞く修行僧、すなわち仏弟子を指す。
またこの言葉は、
雪などが舞い散るさまや野山の草花が山野を彩るのを
喩えるのに用いられる。
ストーリー1
維摩経によれば、
ある日、如来はインドの蓮花宝座で経を説いていると、
突然瑞雲が東から来るのを見て、
弟子の維摩詰が難病になっていることに悟る。
そこで、大衆の弟子に見舞いに派遣する。
如来は維摩居士がこの機会に仏典を解説するだろうと考えており、
弟子達が学ぶ様子を検証するように天女を派遣した。
天女は花かごを手に提げて飛んでいき、
下界に来て頭を下げて見ると、
維摩詰が弟子に教えを授けているところを見かけた。
天女がすぐさま花かごの鮮花を下界へ撒くと、
弟子舎利弗は全身花まみれとなった。
みんなはとても不思議に思っていると、
天女は言った。
「結習未だ盡きざれば、固より花が身に著く。
結習盡くれば、花身に著かず
(煩悩を離れていないから花が身に付くのだ。
煩悩を離れれば、花は体につかない)。」
舎利弗は天女の教えを知り、ますます経文の勉強に励んだ。
舎利弗(しゃりほつ)
古代インドの修行僧であり、
仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の一人である。
舎利弗は釈迦の直弟子の中でも上首に座した。
特に十大弟子の筆頭に挙げられ智慧第一と称され、
親友かつ修行者として同期であった
神通第一の目連(モッガラーナ)と併せて二大弟子とも呼ばれる。
舎利弗と目連の二大弟子は、
釈迦よりも年長ではあったものの
教団の後継者になるであろう人物として注目されていた。
しかし最有力とされた目連が外道に撲殺されてしまい、
相次いで舎利弗もまた晩年に重い病に罹ると、
釈迦の許しを得て侍者チュンダとともにナーラカ村に帰郷し、
母に看取られながら病没した。
実際に釈迦の入滅後に教団の後継者となったのは
十大弟子の頭陀第一と称された摩訶迦葉であった。
ストーリー2
維摩詰の家には一人の天女がいて、
彼女はお経を説く声を聞くといつも、
説法をする人の前に姿を表す。
花かごの曼陀羅華を
菩薩たちや釈迦の大弟子たちにふりかける。
曼陀羅華(まんだらげ)
チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔)は、ナス科の植物。
園芸用にはダチュラの名で広く流通している。
原産地は南アジアであって、
「チョウセン」は、特定の地域を表すものではなく、
朝鮮半島原産という意味は持たない。
チョウセンアサガオの薬効は、古くから知られており、
中国明代の医学書「本草綱目」にも、
患部を切開する際、熱酒に混ぜて服用させれば
苦痛を感じないとの記述がある。
ベラドンナやハシリドコロなどと同様にアトロピンを含んでおり、
過去には鎮痙薬として使用された。
世界初の全身麻酔手術に成功した
江戸時代の医学者である華岡青洲は、
本種を主成分としていた精製した
麻酔薬「通仙散」を使用していた。
薬用植物ではあるが毒性も著しく強く、
「キチガイナスビ」といった別名を持つ。
すると菩薩の体のうえの花びらはすぐに落ちたが、
大弟子の体の上のものは落ちず、
大弟子が超能力を用いても花を振り払うことが出来なかった。
精衛填海については以降に!!
2020年6月6日
兄の日
姉妹型・兄弟型の研究者、畑田国男が、
「兄」「弟」「姉」「妹」にそれぞれ記念日を制定した。
兄の日 - 6月6日
「ふたご座」生まれ(5月22日 - 6月21日)の中間日とした。
弟の日 - 3月6日
「兄の日」の3ヶ月前とした(「姉」「妹」との整合性も兼ねている)。
姉の日 - 12月6日
「3姉妹を救った伝説」で知られる
聖ニコラウスの命日であることや、
「妹の日」の3ヶ月後という設定にしている。
妹の日 - 9月6日。
「妹の可憐さ」を象徴する
「おとめ座生まれ」(8月22日 - 9月22日)の中間日とした。
こじつけだがなかなかうまく制定していると思う。
私の誕生日は6月1日なので、
弟妹たちから誕生祝いをしてもらって、
兄貴冥利に尽きる。謝謝!
昨日叔母(82歳)が亡くなった。
母方は長男・長女(母)・二女・三女・二男・四女・三男の
7人兄弟で叔母は四女である。
叔母夫婦には子供がいなかったためか、
私を含め甥・姪を可愛がってくれた。
特に妹は40年以上、
叔母の家の側で住んでいるので、
我が子のような存在になっていたと思う。
妹が働いていたころは、
子供たちの面倒も見てもらっている。
ここ数年は叔父が介護施設に入所したため、
一人で生活しており、
妹が親身になって叔父夫婦の世話をしていた。
また昨年4月に叔父が亡くなってからは、
叔母も介護施設に入所せざるをえなくなっていた。
これで母の兄弟も全員いなくなってしまった。
父は11人兄弟の末っ子だったので、
20年前に父が亡くなった時に全員いなくなった。
これで私のルーツとなる人たちが全ていなくなった。
私がそういう年になったということだろう。合掌!!
午前中は散歩に。
夕方は叔母の通夜式に。