小春日のをんなのすはる堤かな
鑑賞: 句全体が春の日のようにまろやか。
女も土手も、ぼおっと霞んでいるかのようだ。
平仮名の使い方の巧みさと二つ重ねた「の」の効果である。
とくに旧仮名の「をんな」が利いている。
新仮名の「おんな」では、軽すぎてこうはいかない。
ところで、八木忠栄の個人誌「いちばん寒い場所」
(24号・1997年11月)の表紙に、
犀星のこんな文章が引用されていた。
「『一つ俳句でもつくって見るかな』といふ
軽快な戯談はもはや通らないのである。
『俳句は作るほど難しくなる』といふ
嘆息がつい口をついて出てくるやうになると、
もう俳句道に明確にはいり込んでゐるのだ。
どうか皆さん、
『俳句でも一つ作って見るか』などといふ
戯談は仰有らないやうに、
そして老人文学などと簡単に片づけてくださらないやうに」。
「俳句道」には恐れ入るが、言いたいことはよくわかる。
(清水哲男)
この土日の日中は暖かかった。
これを小春日和というのであろう!
母が元気だったころ、
南向きの仏間の障子を開けて、
日向ぼっこをしながらうつらうつらしていると、
そこへ猫が「ニャーニャー」と鳴きながら現れた。
すると待っていたかのように硝子戸を開け、
横に置いていたチリ紙で包んだものを取出して、
猫の前にポイと投げた。
多分昨日の夕食の食べ残しであろう。
猫は美味しそうに食べている。
それを見ながら何やら猫に話しかける、
「お前はええなぁ・・・・」
よくは聞こえないが、
古くからの友人に話すように。
♪秋桜♪の歌詞が浮かんできた。
「・・・・・・
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが しみてくる
・・・・・・・」
母は昨年四月に亡くなった(行年93歳)合掌!!
ところで、
揚げ句の「をんな」はきっと若い人だろうなぁ・・・?
2019年11月18日
午前中は卓球の練習に!
午後は何をするか?
まぁ、炬燵でウトウトするのも悪くない。