虎造と寝るイヤホーン春の風邪

  鑑賞: 季語は「春の風邪」。
       寒かったかと思うと暖かくなったりで、
       早春には風邪を引きやすい。
       俳句で単に「風邪」といえば冬のそれを指し、
       暗い感じで詠まれることが多いが、
       対して「春の風邪」はそんなにきびしくなく、
       どこかゆったりとした風流味をもって
       詠まれるケースが大半だ。

       虚子に言わせれば
          「病にも色あらば黄や春の風邪」
       ということになる。が、もちろん油断は大敵だ。

       軽い風邪とはいっても集中力は衰えるから、
       難しい本を読んだりするのは鬱陶しい。
       作者はおそらくいつもより早めに床について、
       「イヤホーン」でラジオを聞きながら
       うとうとしているのだろう。
       こういうときにはラジオでも刺激的な番組は避けて、
       なるべく何も考えないでもすむような
       内容のものを選ぶに限る。
       「次郎長伝」か「国定忠治」か、
       もう何度も聞いて中味をよく知っている
       広沢虎造の浪曲などは、だから格好の番組なのだ。

       ストーリーを追う必要はなく、
       ただその名調子に身をゆだねていれば、
       そのうちに眠りに落ちていくのである。
       そのゆだねようを指して、
       「虎造と寝る」と詠んだわけだ。
       病いの身ではあるけれど、
       なんとなくゆったりとハッピーな時間が
       流れている感じがよく出ている。
          (清水哲男)

小沢昭一で思い出すのはラジオ番組である。
「小沢昭一の小沢昭一的こころ (TBSラジオ、1973年1月8日-2012年12月14日)」
私はABC朝日放送やRSK山陽放送だったと思うが電波が入りにくかった。
10分間、ラジオの向きを変えたりしながら聞いたものである。
ラジオが好きだった小沢さんらしい句だと思う。

また浪曲で思い出すのは父が酔うとうなっていた一節
「妻は夫をいたわりつ
 夫は妻にしたいつつ・・・」である。
今思えば、この言い回しは夫と妻が逆のように感じる。
父の間違いじゃないかと、ちょっと調べてみた。

壺坂霊験記』(つぼさかれいげんき)は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。
盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物、一段。
1921年には東家三笑が歌ったのを皮切りに浪曲にも取り入れられ、
浪花亭綾太郎による「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の名調子で一躍有名になった。
あらすじ
   盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、
   男ができたのではと疑い妻を問い詰める。
   お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に
   願掛けに行っていたと打ち明ける。
   邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、
   目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、
   満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。
   夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。
   二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、
   二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。

つまりは、
盲目の夫を妻がいたわる物語なので、「妻は夫をいたわりつ」であったいたわけです。

2017年3月2日

お水送り(若狭彦神社、福井県小浜市)
  若狭彦神社の伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の
  修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、
  遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。
  そのお詫びとして、
  遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供え
  閼伽水を送ると約束したという。
  白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、
  二月堂の若狭井に通じているとされている。
  鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。
  その水を受けとる祭事が二月堂の「お水取り(3月12日深夜)」である。
  現在は若狭神宮寺が主体となって行われている。

今日は朝から雨模様である。
どうも散歩は・・・・・・!
食べるのを減らすしかないかなぁ。