凡河内躬恒(29番)
 
       心あてに 折らばや折らむ 初霜の
       おきまどはせる 白菊の花 
 
★現代語訳
    もし手折(たお)るならば、あてずっぽうに折ってみようか。
    真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、
    白菊の花と。
★作者
    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね。生没年不明)
    9~10世紀初頭にかけて生きた人で、下級役人であり、
    甲斐少目(かいしょうさかん)、和泉大掾(いずみのだいじょう)、
    淡路権掾(あわじごんのじょう)などの職につきました。
    しかし歌才に優れ、紀貫之と並ぶ当時の代表的歌人として
    宮廷の宴に呼ばれたり、高官の家に招かれたりしています。
    三十六歌仙の一人で、古今集の撰者です。
 
★鑑賞
    今朝は特別肌寒い。空気が刺すように冷たく、吐く息が白く濁る。
    手のひらに息を吹きかけてこすりながら縁側へ出てみると、
    庭の可憐な白菊の上に鈍くも白い初霜が降りている。
    寒いわけだ、初霜とは。初霜も白いので、白菊の花を折ろうと
    思っても、どれが白菊だか分からない。
    あてずっぽうに折るしかないだろうな、初霜でまぎらわしくなっているから。
    白菊の花が。
 

    倒置法にしたことで、最後に持ってきた「白菊の花」に焦点が
    絞られるように組み立てられてもいます。
    派手な言葉遊びや序詞は使っていないものの、さりげなく上手い、
    名人の手になる一首でしょう。
    さすが下級役人ながら古今集の撰者となり、紀貫之のライバルと
    目された作者の面目躍如というところでしょう。
 
実はこの歌は、明治時代の大俳人・正岡子規が「五たび歌よみに与ふる書」の中で、
「初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなるわけではない。これは嘘の趣向である」と酷評しています。
今読むと、子規の批判の仕方は風流を解しないなあ、ちょっと真面目すぎるんじゃないかと・・・。

ただし、子規は「恋に悲しめば、誰も一晩中袖が濡れ続けるほど泣いているのか」などといった、
王朝風のすでに使い古されて陳腐になってしまった大げさな表現を今だに大事にしている歌の
世界に疑問を感じて、「写生」つまりリアリティの大切さを説きたかったわけです。
 
歌には読み人の意図が「5、7、5、7、7」の21文字に隠されています。
表現は明示的であったり暗示的であったりと作者の自由です。
難しく考えず解釈も人それぞれでいいんじゃないでしょうか?子規さん。
おりしも、昨日は「霜降」でした。
北の方ではこの歌のような場面があったかもしれませんねぇ!!
 
2014年10月24日
今日は急きょ中学生の同級生6人との飲み会がある。
野球部が4人、バレー部が2人と私である。
部活に縁のない私がこのメンバーと飲むことになったのか・・・?
そんなこと、どうでもよい、楽しく飲めたら!!
昨夜「飲みすぎないように、注意してよ」とのメールが届いている。
「わかっていますよ」との返信はしていない。自信がない・・・?