殷富門院大輔(90番)
見せばやな 雄島(をじま)の蜑(あま)の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず
濡れにぞ濡れし 色は変はらず
★現代語訳
あなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、
波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。
波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。
(私は涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を拭く袖の色が変わって
しまいました)
★作者
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ。1131頃~1200頃)
従五位下・藤原信成(のぶなり)の娘で、後白河天皇の第一皇女、亮子
従五位下・藤原信成(のぶなり)の娘で、後白河天皇の第一皇女、亮子
(りょうし)内親王(式子内親王の姉で、後の殷富門院)に仕えました。
当時は、小侍従(こじじゅう)と並ぶ女房の歌人として有名でした。
★鑑賞
この歌は百人一首にも登場する源重之(みなもとのしげゆき)が作った
松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか
という歌を本歌(ほんか)にした「本歌取り」の歌です。
本歌取りというのは、昔の有名な歌の一部を引用したりさまざまに
松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか
という歌を本歌(ほんか)にした「本歌取り」の歌です。
本歌取りというのは、昔の有名な歌の一部を引用したりさまざまに
アレンジして新しい歌を作る、和歌の技法のひとつです。
重之の歌は「(つらい恋で涙を流し)松島の雄島の漁師の袖くら
いだろう、私の袖のように濡れているのは」と詠っています。
大輔は、重之に答えて(返歌)
いだろう、私の袖のように濡れているのは」と詠っています。
大輔は、重之に答えて(返歌)
「私の袖こそ見せたいものです。
涙も枯れて血の涙が流れ、色が変わってしまったのですから。
涙も枯れて血の涙が流れ、色が変わってしまったのですから。
松島の雄島の漁師の袖でもこうはならないでしょう」
と詠ったのです。
あたかも重之と時代を超えて歌で恋の問答をしているようですね。
ちなみに「血涙」というのは、中国の古典から来た言葉です。
韓非子によると
韓非子によると
「ある農夫が畑で玉(ぎょく=宝石の一種)の巨大な原石を見つけた。
王に2度献上したが磨いても石のままだったので、両足を切られてしまった。
そこで農夫は激しく泣いて血の涙を流した。結局3度目に玉が磨き出され、農夫はやっと称えられた」
という話などが元です。
という話などが元です。
2014年8月3日
台風12号の影響の雨で暑さも少し和らいでいる。
明日(4日)、妻が関西空港からお盆休みを兼ねて、大連(仕事)と瀋陽(帰省)に出発する。
台風の影響が少し心配だが・・・・・!
帰国は22日(金曜日)である。
息子も6日~15日まで帰省する予定だ。
瀋陽の実家には、姉夫婦(広東省汕頭市)と姪(東京の建築設計事務所に就職)も帰省しており、
旧正月にはみんな集まれなかったので、久しぶりに賑やかにり、両親も喜ぶだろう。
来年は息子も就職するので、長期の帰省はこれが最後になるのでは・・・・。
そして私は、母が2年前に施設に入所したため、一人の生活を楽しむことになる。
嬉しいような、淋しいような・・・・・!