参議篁(11番)
    わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと
        人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
 
  ★現代語訳
       広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と
       都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。
 
  ★作者
      参議篁(さんぎたかむら。802~852)
    本名を小野篁(おののたかむら)といいます。834(承和元)年に
    遣唐使の副使に選ばれ、836(承和3)年に唐に向けて出発しましたが
    難破して帰国。837年の再出発の時に破損した船に乗せられそうになり
    喧嘩をしたため、当時の嵯峨天皇の怒りにふれ、2年間隠岐に流され
    ました。後に文才を惜しまれ、都に戻され参議にまで出世しています。
  ★鑑賞
      作者が隠岐へ流される時に作り、京の宮廷の人々に送った歌です。
    そこには「遠い都の人々へ伝えてくれよ、漁師の釣り船よ」と船に
    語りかけながら旅立つ孤独な姿が見え、また悟りきったような寂しい
    背中が見えるようでもあります。
    波間に浮かぶ小さな舟の描写が、見事に作者の孤独を表している
    ようではありませんか。
 
隠岐諸島は現在の島根県の沖、日本海に浮かぶ島です。
今は松江市まで車や電車で行き、そこからフェリーに乗れば数時間で行けます。

しかし当時は、難波(現在の大阪市)の港から船に乗り、瀬戸内海を廻って本州と九州の境にある
関門海峡を通り、ぐるっと廻って隠岐まで連れて行かれました。
何日かかったのかは判りませんが、陸路で移動すればもっと安全に早く行けたと思うのですが・・・!
 
悲しく長い旅路をさせることこそが島流しの意味合いだったのでしょうねぇ!
 
2014年6月22日
ボーリングの日
  1861年(文久元年)6月22日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に
  ボウリング場オープンの広告が掲載されたことにちなんだもの。  
  日本ボーリング場協会が1972年に制定。
  
    もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、
    その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。
    その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて墓から木でできたボールとピンが
    発掘された事から、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。
 
    日本では、長崎市の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が
    開設された。
 
1970年の終わりごろ、日本でのボウリングのブームが始まりました。
私らの世代では200アップする者もいましたが、私は全然だめでした。
また、テレビで美人女子プロが、ミニスカートで投げるは良かったですなぁ!
もう30年以上も昔の事ですが、三木町にも現在の三木マルナカ店のところにありました。
私はやっぱりウォーキングを兼ねたゴルフがいいですねぇ。
 
雨が降っているので、散歩は午後になりそうです。
午前中はゴルフの練習にでも行こうかと・・・・・・!