圧巻
 古代中国で行われた官吏登用試験の科挙で、もっとも成績の良かった者の答案(巻)を圧するように
 常に一番上に置いたことから、書物の中で一番優れた詩文を圧巻と呼ぶようになり、
 書物以外にも用いられるようになった。
 
 科挙(かきょ)とは、中国で598年~1905年、即ち随から清の時代まで行われた官僚登用試験である。
    ちなみに科挙の本番の試験は三日がかりで行われた。
    受験者はカンニング防止のために一人ずつ狭い個室に入れられ、
    試験が終了するまでの三日間は各々の個室から出る事を厳しく禁止された。
    
    科目ごとの制限時間は特になく、試験終了までの三日以内に全科目の答案を作成
    すればよいという条件で、答案作成の合間に食事や睡眠をとる事も自由であった。
    そのため、受験者が個室に入る際には食料や寝具の持ち込みは自由であったが、
    書物やメモ類の持ち込みは厳禁であった。
 
    科挙は、隋から唐までの時代には、貴族として生まれた者たちが高い地位を独占しており、
    その効力は発揮できていなかった。
    これが北宋の時代になると、科挙によって登場した官僚たちが新しい支配階級“士大夫”を形成し、
    政治・社会・文化の大きな変化をもたらしたが、科挙はその最も大きな要因だと言われている。
    士大夫たちは、科挙によって官僚になる事で地位・名声・権力を得て、
    それを元にして大きな富を得ていた。
 
なお、
 日本でも、平安時代に科挙が導入され庶民から進士に合格し下級官人となり、
 最終的に貴族にまでなった人物として勇山文継が知られている。
 受験者の大半は下級貴族で、合格者は中級貴族に進める程度であった。
 このため、大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、当時の貴族政治を
 突き崩すまでには至らなかった。
 基本的に江戸時代まで続くも、科挙が日本の歴史に及ぼした影響は少なかった。
 
 しかし、明治政府では、日本にも科挙形式の官僚登用制度が導入された。
 1894に始まった高等文官試験(現在の国家公務委員一種試験の原型)は科挙を参考にして
 作られた制度であり、試験科目は儒学ではなく、西洋の近代学問となった。
 
現在の日本を動かしているのは政治家ではなく、
高級官僚(国家公務委員一種試験の合格者のトップのみが上り詰める)とされる。
圧巻と呼ばれるに値する人たちなのか、はなはだ疑問である。
 
2013年1月29日
妻は旧正月の帰省(瀋陽)を兼ねて大連に旅立った。
2月15日まで息子と二人になる。
今週から息子が家で夕食を食べると言うので、またメニューが悩ましい。
一週間の献立を考えて、今日3日分を購入する。
外で食べてくれると楽だし、私もダイエットが出来るのだが・・・・・!