1974年10月8日
 佐藤栄作元首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する。
 
 第56・57代内閣総理大臣岸信介の実弟で、自民党新総裁安倍晋三の父安倍晋太郎は義甥にあたる。
 
 遠縁に当たる吉田茂首相とは早くから親交があり第2次吉田内閣で非議員ながら入閣。
 池田勇人と共に「吉田学校」の代表格となる。
 
 1964年(昭和39年)7月、佐藤は池田勇人の三選阻止を掲げ自民党総裁選挙に出馬した。
 党人派の支持を固めた池田が過半数をわずかに超え辛勝したが、
 同年11月、池田の病気退陣に伴い、実力者による党内調整会談を経て、
 池田裁定により自民党後継総裁に指名され、内閣総理大臣に就任した。
 
 1967年(昭和42年)12月11日、衆議院予算委員会の答弁に際し、
 「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」のいわゆる非核三原則を表明した。
 
 佐藤は非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞した。
 
 佐藤にとって政敵不在の中、派閥横断的に将来の総理総裁候補、特に田中角栄、福田赳夫、三木武夫、
 大平正芳、中曽根康弘、鈴木善幸、宮沢喜一、竹下登たちを政府・党の要職に就けて競わせ育成し、
 「人事の佐藤」と呼ばれる人心掌握術で政権の求心力を維持し続けた。
 また、当選回数による年功序列や政治家の世襲といったその後の自民党を特徴づけるシステムが
 確立したのも佐藤政権である。
 
 今「非核三原則」が怪しくなっている。
 唯一の被爆国日本のみが発信できる権利を持つ崇高な宣言なのに・・・・!
 
2012年10月8日
 体育の日(1964年10月10日開幕の東京オリンピックを記念して)で、三連休最終日。
 二十四節気の1つ「寒露」。太陽の黄経が195度の時で、霜が冷気によって凍りそうになるころ。
 
 お店に出るが車は妻、息子が使うと言うので、今日は自転車で約6km通勤する。
 行きしなは坂道を下るので楽チンで20分、戻しなは逆に辛く40分かかる。
 中学校までが5kmだった。あの時もしんどかった。
 自転車だとちょっと肌寒い感じがする。