1949年10月1日
 中華人民共和国成立。
 
 人口の94%を占める漢族のほか、チワン族、ウィグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家である。
また人口、国土面積においても世界最大の単一国家である。
 
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジギスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接している。
また黄海や東シナ海を挟んで日本や大韓民国(韓国)とも接している。
ギネスブックによれば最も多くの国(16ヵ国)と国境を接している国である。
 
中華人民共和国成立以前
 3000年以上にわたり、幾つもの王朝の興亡を経てきた。
漢族の王朝・明が1644年に滅亡し、満州人の王朝・清が最後の王朝として中原王朝の座を掌握した。
だが、アヘン戦争(1840年 - 1842年)で清朝がイギリスに敗れると植民地化が始まり、
1858年のアイグン条約以降、外満州はロシア領に組み込まれた。
 日清戦争で日本に敗れたことにより列強による植民地化がさらに進行する。
1905年の日露戦争で敗北したロシアは満洲から撤退した。
 清帝国の弱体化を受け、「滅満興漢」をスローガンとした、満州人の支配に対する漢族の革命運動が
各地で起こり、その結果、1911年の辛亥革命を契機として翌1912年に中華民国が成立
(直後に清朝は消滅)した。
しかし、その後もイギリス、フランス、ポルトガル、ドイツ、日本などの列強による中国大陸の局地的な支配が続いた。
 1930年代の日本の支援を受けた宣統帝による満州国の建国や、その後に発生した日中戦争において
中国大陸の多くの部分は日本の影響下におかれた。
1945年のソ華友好同盟条約により、旅順・大連・南満州鉄道がソ連に引き渡された。
1945年の第二次世界大戦における日本の敗北によって日本が中国大陸から撤退し、
中華民国が連合国(戦勝国)の一国として香港・マカオ・旅順・大連などを除く中国大陸を
改めて完全統治する体制が整った。
 しかし、1930年代から日中戦争を挟んで断続的に行われていた国共内戦において、
ソビエトから支援を受ける中国共産党率いる中国人民解放軍がアメリカからの援助を受ち切られた
中国国民党率いる中華民国国軍に対して勝利をおさめ、1949年に共産主義政党による一党独裁国家である
中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治地域を制圧した。
 
中華人民共和国成立後
 中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と
鄧小平時代以降(1978年 - )の2つの時代に分類することができる。
 
毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。
1951年にはソ連から旅順港・大連港・南満州鉄道が返還される。
その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、
「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。
 文革は、毛沢東の死と共に終結した。
外交ではソビエトと対立するアメリカや日本などの資本主義諸国と国交を樹立し、
経済支援を受けるとともに国連安全保障理事会常任理事国となり国際社会に強い影響力を
持つことに成功した。
 その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月の第11期3中全会で鄧小平が実権を掌握した。
 
政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、
市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。
 1989年の六四天安門事件は、民主化要求の大規模政治運動であったが、鄧小平の自由化は経済に
限定されていた。
鄧小平は、天安門広場に集まった学生に戦車と銃を向け「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」
という強いメッセージを示した。
経済の開放を強力に推し進めた結果、全国民の0.4%が国民所得の70%を占有するようになり
年々格差が拡大し続けている。
 
中国は国慶節の今日から一週間が「十・一」と呼ばれるゴールデンウィーク(中国語で「黄金周」と呼ばれる)
となる。
平穏な日中関係に戻ることを切に願う。
 
2012年10月1日
今朝は半袖の短パンのパジャマではちょっと肌寒い。
衣替えの日だが・・・・、Tシャツも長袖にしようかなぁ!