1862年9月22日
エイブラハム・リンカーン米大統領が奴隷解放宣言第1部を発表。
南北戦争(1861年~1865年)が始まってからは、たくさんの奴隷たちが北軍の兵士として、
自分たちの自由のために戦った。
北軍が戦いで占領した南軍の奴隷たちをどうするかについては議論がなされた。
北軍の将軍たちの中にはその奴隷たちを解放するよう指令をした者もいたが、リンカーン大統領は最初、
それを取り下げた。
しかし、それまでの合衆国の法律では、北軍が確保した南軍の奴隷たちを、
その後南側に明け渡さなければならないことになっていた。
奴隷たちを完全に解放する段階でもなかったが、だからと言って南側に彼らを明け渡す訳にもいかなかった。
青が北部(アメリカ合衆国)諸州、赤が南部(アメリカ連合国)諸州。水色は合衆国に留まった奴隷州。
奴隷解放宣言は、2部に分かれて発布された。
第1部は、1862年9月22日に発布され、その後発布された第2部の概要を説明する予告版であった。
第2部は、南北戦争の2年目である1863年1月1日に発布された。リンカーン大統領はこの宣言で、
連邦軍から脱退した州の中で、1863年1月1日の時点で連邦側にまだ戻ってきていない全ての州の
奴隷が解放されることを宣言した。 この宣言の対象になった10州の名前はこの第2部に記された。
奴隷解放宣言によって、海外諸国は、奴隷制を廃止しようという米国の新しい取り組みを賞賛した。
これにより、南部連合が、英国やアイルランドなどの海外諸国から一つの国として認められる可能性は消えた。ヘンリー・アダムスは、「奴隷解放宣言は、歴史上の全ての戦勝や外交を足し合わせたものよりも、偉大なものを私たちにもたらしてくれた」と、解放宣言をたたえた。
この宣言から150年を経ている。
民主主義の大国アメリカでさえ、まだまだ人種差別は残っている。
平和ボケの日本にでもまだまだいろんな差別がある。
人がいかなる理由からも差別されない真の平等の道のりはまだ遠い!
2012年9月22日
秋分の日だ。
おはぎを買ってきて仏壇にお供えしよう。
昨夜は巨人のリーグ優勝の瞬間をテレビで見られた。
原監督の涙とインタビューはよかった。
鶴岡、水原、川上につぐ名監督に一歩近づいたようにさえ思う。