1948年9月16日
配給制だったマッチが8年ぶりに自由販売となる。
人間にとって火は重要であったが、火をおこすことは手間のかかる作業だった。
1827年(文政10年)にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを
頭薬とする摩擦マッチを考案した。
形態的には現在のマッチとほぼ同じであったが、火付けが悪かった。
日本では、当初小箱一個が米4升と見合う高価な輸入品であった。
1875年(明治8年)4月、フランスに学んだ金沢藩士の清水誠が、
マッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実の三田別邸に構えた仮工場で
マッチの製造を開始、大きな成功を収めた。
その後本所に新設した工場で本格的に生産を開始、中国やインドへも輸出された。
最盛期である20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国となった。
このときは生産量の約80%が輸出にまわされた。
戦後、ライターなどの普及によりマッチ生産は減少傾向にある。
現在では兵庫県を代表する産品となり、姫路市周辺で日本の生産量の80パーセントが生産されている。

仏壇の前に置いている我が家のマッチと錦織圭
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Caixa_de_mistos.jpg/450px-Caixa_de_mistos.jpg
煙草を吸ってた頃は喫茶店でよくマッチをもらったものだ。
映画の西部劇でクリント・イーストウッドが靴の横をマッチで擦って火をつけるシーンが、
格好良くてまねて見たが火がつかなかった。
子供の頃窓ガラス(すりガラス)でつけて遊んだこともあったなぁ。
2012年9月16日
男子テニスの国別対抗戦、デ杯ワールドグループ入れ替え戦、
日本-イスラエルでダブルスで敗れ通算1勝2敗で後が無くなった。
最終日の今日のシングルスで2連勝が必要となったが、錦織選手は出場できるのだろうか?
第一日目は体調不良で出られなかった。
日本のエースの2勝があってこそワールドグループに残留できる条件だったのに・・・!