1835年9月15日
 ビーグル号による世界探検の途上のチャールズ・ダーウィンがガラパゴスに到達。
 
 ビーグル号は1831年12月27日にプリマスを出航した。
 南米に向かう途中にカーボヴェルデに寄港した。
 ダーウィンはここで火山などを観察し、航海記録の執筆を始めている。
 そのあと南米東岸を南下しバイーアを経てリオデジャネイロに立ち寄ると、
 正式な艦の博物学者だった艦医マコーミックが下船したため、
 非公式ながらダーウィンがその後任を務めることになった。
 
 ビーグル号が海岸の測量を行っている間に、内陸へ長期の調査旅行をたびたび行っている。
 モンテビデオを経て出航からおよそ1年後の1832年12月1日にはティエラ・デル・フエゴ島についた。
 
 1834年6月にマゼラン海峡を通過し、7月に南米西岸のバルパラインに寄港した。
 ここでダーウィンは病に倒れ、1月ほど療養した。
 ガラパゴス諸島のチャタム島に到着したのは1835年9月15日であり、10月20日まで滞在した。
 
 なおこの時、ダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰ったとされるガラパゴスゾウガメ、
 ハリエットは175歳まで生き、2006年6月22日に心臓発作のため他界している。
 
 1835年12月30日にニュージーランドへ寄港し、1836年1月にはオーストラリアのシドニーへ到着した。
 その後、インド洋を横断し、モーリシャス島に寄港した後6月にケープタウンへ到着した。
 アゾレス諸島を経て1836年10月2日にファルマス港に帰着した。
 航海は当初3年の予定だったが、ほぼ5年が経過していた。
   ビーグル号の航海
 
 後にダーウィンは自伝で、この航海で印象に残ったことを三つ書き残している。
 一つは南米沿岸を移動すると、生物が少しずつ近縁と思われる種に置き換えられていく様子に気づいたこと、 二つめは南米で今は生き残っていない大型の哺乳類化石を発見したこと、
 三つ目はガラパゴス諸島の生物の多くが南米由来と考えざるを得ないほど南米のものに似ていることだった。
 
 1858年にアルフレッド・ウォレスがダーウィンに送った手紙に自然選択説と同様の理論が書かれていた
 ことに驚き、自然選択による進化理論を共同で発表する。
 ダーウィンはさらに執筆中であった『自然選択』と題された大著の要約をまとめ、
 1859年11月24日に『種の起源』として出版した。
 
ダーウィンの説の重要な部分は、自然淘汰(自然選択)説と呼ばれるものである。それは以下のような形で説明される。
  • 生物がもつ性質は、同種であっても個体間に違いがあり、そのうちの一部は親から子に伝えられたものである。
  • 環境収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に子を残す期待値に差が生じる。つまり有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。
  • それが保存され蓄積されることによって進化が起こる。
2012年9月15日
史上最強台風16号が沖縄に接近している。
この三連休の動向に注意が必要だ。
皆さまのところで被害が無いように・・・・!