1862年9月14日
 生麦事件
 武蔵国橘樹群生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主の父・島津久光の
 行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
 
行列が生麦村に差しかかった折り、騎馬のイギリス人と行き会った。
 
行列の先頭の方にいた薩摩藩士たちは、正面から行列に乗り入れてきた騎乗のイギリス人4人に対し、
身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人たちは、「わきを通れ」と言われただけだと
思いこんだ。
しかし、行列はほぼ道幅いっぱいに広がっていたので、結局4人はどんどん行列の中を逆行して進んだ。
鉄砲隊も突っ切り、ついに久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れたところで、
供回りの藩士たちの無礼を咎める声に、さすがにどうもまずいとは気づいたらしい。
しかし、あくまでも下馬する発想はなく、今度は「引き返せ」と言われたと受け取り、馬首をめぐらそうとして、
あたりかまわず無遠慮に動いた。その時、数人の藩士が抜刀して斬りかかった。
 
1863年2月19日ニール代理公使は幕府に対して謝罪と賠償金10万ポンドを要求した。
さらに、薩摩藩には幕府の統制が及んでいないとして、艦隊を薩摩に派遣して直接同藩と交渉し、
犯人の処罰及び賠償金2万5千ポンドを要求することを通告した。
 
1863年8月15日~8月17日、生麦事件の解決を迫るイギリス)と薩摩藩の間で戦われた鹿児湾における
薩英戦争がおこる。
 
イギリスは、薩英戦争後の交渉を通じて薩摩藩側を高く評価するようになり、
薩摩藩との関わりを強めていくこととなる。薩摩はイギリスよりの情報や武器の入手が容易になり、
薩摩は更なる軍備の充実に努めることになる。
 
余談だが、
事件が起こる前に島津の行列に遭遇したアメリカ人商人のユージン・ヴァン・リードは、
すぐさま下馬した上で馬を道端に寄せて行列を乱さないように道を譲り、脱帽して行列に礼を示しており、
薩摩藩士側も外国人が行列に対して敬意を示していると了解し、特に問題も起こらなかったという。
ヴァン・リードは日本の文化を熟知しており、大名行列を乱す行為がいかに無礼なことであるか、
礼を失すればどういうことになるかを理解しており、「彼らは傲慢にふるまった。自らまねいた災難である」
とイギリス人4名を非難する意見を述べている。
 
現在の外交政策においても相手国の文化を理解する必要があるように思う。
 
2012年9月14日
巨人の優勝マジックがとうとう8になった。
この分では一気に来週中に決まるかもしれない。
今年は若い人が出てきて楽しみが増えた。まずはメデタイ。
 
”天高く馬肥ゆる秋” ぶくぶく太ってこちらは危険信号・・・!