紀元前490年9月12日
 マラトンの戦い。アテナイ・プラタイヤ連合軍がペルシャ遠征軍を撃破。
 マラトンからアテナイまで走って勝利を伝えた兵士の故事がマラソンの起源となる。
画像はピリッピデスを描いた19世紀の絵。
 
マラトンの勝利は、アテナイに絶大な自信を与えた。
マラトンで戦った市民軍はマラトーノマカイと呼ばれ、アテナイ戦士像の理想となり、
古典期の陶芸芸術のモティーフとして大きな影響を及ぼした。
 
また、プルタルコスによれば、エウクレス(他の伝承では走者の名がフィディッピデスもある)なる
兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」と
エウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したという。
 
1896年にアテネで開かれた第1オリンピックにおいて、マラトンからアテネ競技場までの競走が行われた。
これが近代マラソンの始まりである。
草創期のマラソンでは走行距離の厳密な計測はされず、おおむね40kmが目安とされた。
1982年より、マラトンからアテネの競技場までの42.195kmにコースが設定され、
アテネクラシックマラソンが行われるようになった。
フィディッピデスの像。マラトンからアテネに向かう道筋にある。
 
アテナイの豆知識
ギリシア神話では、アテナイはオリュンポス十二神の水神ポセイドンと女神アテナが、
その当時まだ名前の無かったアテナイの領有権をめぐって争い、それにアテナが勝利したため、
女神の名にちなんでアテナイと名づけられたとされている。
その争いとは、アテナイ市民により有益なものを作り出したほうを勝者とする者であり、
ポセイドンは泉の中から馬を出し、アテナはオリーブの木を生み出し、オリーブの油の方が
より有益であると市民に判定されたとされる。
 
香川県の小豆島はオリーブの産地として有名である。
この地に根付いたのは気候が地中海に似ているからだそうだ。
私の家庭菜園の師匠に貸している畑に1本のオリーブの木が植えられている。
大分大きくなったので今年あたりは実がなるかもしれない。
 
2012年9月12日
朝、窓を開けると秋のすがすがしい風が入ってくる。
しかし、日中はまだ30度を超えるようだ。
彼岸までは続きそうで、
”暑さ寒さも彼岸まで” とはよく言ったものである。