1983年8月21日
 フィリピンの反マルコスの指導者ベニグノ・アキノ・ジュニア(ニノイ・アキノ)上院議員が、
 亡命先のアメリカから帰国したマニラ空港で暗殺される。
 
 外国生活の中でも、ニノイは常に反マルコスの筆頭であり続けた。
 そのニノイがついにフィリピンに戻る日がやってきた。
 1983年8月21日、戻ればどのような危険と困難が待ち構えているか、
 命を失うおそれすらあることをニノイは十分わかっていた。
 それでも彼は苦しんでいる国民のそばにいたいと願い、
 マルコスに対し政治改革と平和的退陣を直接訴えようと思っていた。
 
 国軍の兵士たちが厳重に警戒にあたっていたマニラ国際空港に、
 ニノイは台北から乗ってきた中華航空機に乗り込んだ4人の兵士とともに降り立った。
 警戒は完璧なはずだった。にもかかわらず、ニノイは、飛行機を降りてすぐに、
 タラップの下で頭を撃たれて倒れた。即死だった。
 その場で「犯人」のロランド・ガルマンは射殺された、と政府は後に発表している。
 
 彼に同行したTBSおよび海外のカメラが、ニノイがタラップに降り立った直後の銃声、
 そして事件後の彼の遺体を捉えていた。
 だが、彼らは飛行機の出口付近で足止めされたために発砲の瞬間を撮ることはできなかった。
 
 ニノイの最後の言葉は、飛行機を降りる直前、同行していた記者に言った、
 「必ず何かが起こるから、カメラを回し続けておいてくれ」だった。
 直後、乗り込んだ兵士が、カメラマンに「You just take seat! (お前は座っていろ!)」と
 言ったのが記録されている。そして、ニノイの言葉は、数分後に現実になってしまった。
 
 ニノイの暗殺は、反マルコスの機運を爆発させることになった。
 それまで散発的な行動でしかなかった反マルコス運動が、一夜にして全土を覆うようになっていた。
 首都メトロ・マニラでは、貧富の差を越えて多くの人々が立ち上がった。
 貧窮にあえぐ民衆だけでなく、実業家たちも、いまやマルコスの政治に限界を感じていたのである。
 さらに、暗殺現場に居合わせたカメラマンの映像を基にしたTBSの検証番組が、
 海賊版としてフィリピンで上映されたことも拍車をかけた。
 
 ニノイが暗殺されると、その遺志を継ぐことになった未亡人の“コリー”コラソン・アキノが、
 
 1986年2月7日、ついに投票が行われた。
 選挙管理委員会はマルコスが勝利したと発表したが、
 コリーと支持者達は明らかな不正が行われたとしてこれを受け入れず、抗議した。
 果的に、この抗議を支持した民衆が立ち上がり、軍の高官たちもマルコスを見放した副参謀総長が、
 「マルコスをもう大統領とは認めない」と声明し、国防省のあるアギナルド空軍基地に篭城、
 ラジオ・ベリタス・アジアも市民に二人の支援を呼びかけた事は有名)ことで、
 マルコスとその一族はフィリピンを追い出されてハワイに向かった。
 これをエドゥサ革命(別名イエロー・革命)という。
 
 コリーは新大統領に就任し、フィリピンの新時代が到来した。
 
2012年8月21日
 銀座に50万人!五輪メダリストの凱旋パレードに集結した人の数だ。
 昨年の巨人の優勝パレードが30万人だと言うから・・・多いのか少ないのか?
 
 笑顔を見るとあの興奮が甦る。平和だ!
 
 しかし・・・・解散総選挙が近い・・・・・。
 日本の将来がかかる大切な選挙になると思う。
 任せられる政党が無いと言うのも情けない・・・・。