1968年8月20日
プラハの春;チェコ事件。
ワルシャワ条約機構軍の兵士200,000名と5,000輛の戦車がチェコスロバキアに侵攻。
ワルシャワ条約機構の加盟国
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a9/Flag_of_the_Soviet_Union.svg/25px-Flag_of_the_Soviet_Union.svg.png ソビエト連邦
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/Flag_of_Bulgaria_%281971-1990%29.svg/25px-Flag_of_Bulgaria_%281971-1990%29.svg.png ブルガリア
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Flag_of_Romania_%281965-1989%29.svg/25px-Flag_of_Romania_%281965-1989%29.svg.png ルーマニア
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Flag_of_East_Germany.svg/25px-Flag_of_East_Germany.svg.png 東ドイツ(ドイツ民主共和国)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Flag_of_Hungary.svg/25px-Flag_of_Hungary.svg.png ハンガリー
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Flag_of_Poland.svg/25px-Flag_of_Poland.svg.png ポーランド
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cb/Flag_of_the_Czech_Republic.svg/25px-Flag_of_the_Czech_Republic.svg.png チェコスロバキア
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/Flag_of_Albania_1946.svg/25px-Flag_of_Albania_1946.svg.png アルバニア(1968年脱退)
軍事介入の実施はチェコスロヴァキア共産党幹部会における党内保守派による労農革命政府の
樹立と連動する計画であった。
介入の連絡が党幹部会に届いたとき、保守派は、多数を占めることができず、
反対に軍事介入を非難する声明が採択された。
こうしてソ連などの介入はチェコスロヴァキアからの要請によると宣伝したにもかかわらず、
当のチェコスロヴァキア側が介入を非難するという逆説的な状況が生まれた。
西側陣営、とくにアメリカは、ドゥプチェク指導部による改革運動に共感を寄せつつも、
具体的な行動をとることはなかった。
モスクワから戻ったドゥプチェクたち指導部は、国民に対し、改革の継続を表明した。
しかし、「モスクワ議定書」の履行を求めるソ連と、それに連動する国内親ソ派からの圧力によって、
ドゥプチェク指導部の選択肢は次第に狭められていった。
1969年1月16日、カレル大学の学生ヤン・パラフが軍事介入および改革の後退に抗議し、焼身自殺を図った。
3月、ストックホルムで開催していたアイスホッケー世界選手権でチェコスロヴァキア・チームが
ソ連チームに勝利したニュースが伝わると、多くの国民が街頭に繰り出し、その勝利を祝った。
1969年4月、ドゥプチェクに代わり、フサークが党第一書記に就任し、「正常化体制」を進めるが、
ドゥプチェクは共産党に踏みとどまった。
翌年の1970年6月、ドゥプチェクやチェルニーク、スムルコフスキーなどの改革派幹部は除名され、
「プラハの春」は終焉した。
軍事介入によって改革目標の多くが頓挫する中、唯一実現されたのが連邦制の導入だったことは、
少なからずチェコとスロヴァキアの間に亀裂を生じさせた。
つまり民主化・自由化を犠牲にして連邦化という民族的利害の実現を優先させたという意識がチェコ人の改革派で持たれるようになった。
チェコとスロヴァキアの政治主導層の認識の相違は、1989年のビロード革命後の移行政策をめぐる
対立にも反映され、1993年の連邦解体につながる遠因となった。
2012年8月20日
昨日の同級生とは、妻の葬式(平成5年1月1日死去)以来だ。
乾杯してすぐ ”かず” ”みっちゃん” と話がはずむ。
あの時「由子さんの顔を見たら幸せだったんやなぁ~」
新しい奥さんと会ったことはないが、みっちゃんが再婚したと聞いて
「正直何考えとるんや」と思ったそうだ。
”よしこ”という名前に反応して、急きょ同席した私の友人が涙目になった。
彼の妻が”淑子”であることと、
彼自身が小さいころお母さんを亡くし、お父さんが再婚もせず男手一つで育てたことを思い出したみたいだ。
死んだ妻やその時中学生だった息子二人に申し訳ないが・・・・・、
再婚して良かったと思っている。
一人生活二週間になるが、やはり一人は淋しい!