1940年7月9日
在リトアニア日本領事代理・杉原千畝(すぎはらちうね)がユダヤ系難民に日本通過ビザを発行。
9月4日までに2千枚以上を発行する。
第二次世界大戦中中、リトアニアのカナウス領事館に赴任していた杉原は、
ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
外務省からの訓命に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、
およそ6000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。
その避難民の多くが、ユダヤ系であった。
海外では、「日本のシンドラー」 などと呼ばれることがある。
リトアニアから国外脱出を果たしたユダヤ人たちはシベリア鉄道に乗り、ウラジオストックに到着した。
次々に極東に押し寄せる条件不備の難民に困惑した本省は、
『行先国に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、船に乗るの許可を与えること』を、
ウラジオストックの総領事館に重ねて厳命した。
難民たちから「ミスター・ネイ」の名で記憶されている根井三郎は、
本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して、難民の救済にあたった。
一度はシベリアの凍土に潰えるかに見えた難民たちの命は、
二人のハルビン学院卒業生の勇気ある行為によって救われた。
後藤新平が制定した同校のモットー「自治三訣」は、
「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう」というものであった。
1968年(昭和43年)夏、「杉原ビザ」受給者の一人で、新生イスラエルの参事官となっていた
ニシュリと28年ぶりに大使館で再会。
カウナス駅頭で「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と
叫んだかつての青年 は、杉原夫人の「手をとり固く握って涙を流して喜んだ。
1969年(昭和44年)、イスラエルの宗教大臣となっていたゾラフ・バルハフティクとエルサレムで29年ぶりに再会。
この時初めて、今日誰でも閲覧できる本省との電信のやりとりが明かされ、
失職覚悟での千畝の独断によるビザ発給を知ったバルハフティクが驚愕する。
後のインタビューで、バルハフティクはこう語っている。
実際には、日本政府の許可なしであったことを私たちが知ったのは、1969年に杉原氏とイスラエルで再会した時である。杉原氏が訓命に背いてまで、ビザを出し続けてくれたなんてことは、再会するまで考えられなかったので、とても驚いたことを覚えている。杉原氏の免官は疑問である。日本政府がすばらしい方に対して何もしていないことに疑問を感じる。賞を出していないのはおかしい。表彰していないのは残念である。杉原氏を支持している方は多くいるが、私は20年前から、日本政府は正式な形で杉原氏の名誉を回復すべきだといっている。しかし日本政府は何もしていない。大変残念なことである。— 1998年5月25日のエルサレム郊外でのインタビュー
「杉原はユダヤ人に金をもらってやったのだから、金には困らないだろう」という悪意に満ちた中傷から、
ニシュリによる千畝の名前の照会時の杓子定規の対応まで、
旧外務省関係者の千畝に対する敵意と冷淡さは、河野洋平外務大臣による名誉回復がなされるまで一貫していた。
1986年(昭和61年)7月31日、86歳でその生涯を閉じる。
日本政府による公式の名誉回復が行われたのは、2000年10月10日になってのことだった。
これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。— 2000年10月10日の河野洋平外務大臣による演説
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生し、
地震と津波による甚大の被害が世界中に報道されるや、内外のユダヤ人社会から、
第二次世界大戦時にユダヤ難民の救済に奔走した杉原の事績を想起すべきとのアピールがなされた。
2012年(平成24年)2月20日、来日したリトアニアのクビリウス首相が、野田佳彦首相に対して、
「日本は地理的には遠いが親近感を抱いている。
故杉原氏がユダヤ人を助けたことはリトアニアの日本理解に大きな影響を与えている」と述べた。
2012年7月9日
梅雨の晴れ間が水曜日(ゴルフ予定)まで続いてほしい。
今のところなんとかもちそうな予報だが・・・・・・・!
今日から新しい一年がスタートする。
私のブログがなぁ!なんと!2年目に突入した。
よく一年も続いたものだ。
今日シリーズが終了(11月17日最終)した後の事を心配している。
毎日書くネタが無くなってしまう・・・・まぁその時はその時で・・・。