1669年6月21日
シャクシャインの戦い:アイヌ民族が一斉蜂起。
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蜂起の指導者シャクシャインの像
1648年ごろからシブチャリ以東の太平洋沿岸に居住するアイヌ民族集団メナシクルと、
シブチャリからシラオイ(現在の胆振総合振興局白老町)にかけてのアイヌ民族集団であるシュムクルは、
シブチャリ地方の漁猟権をめぐる争いを続けていた。
メナシクルの首長であるカモクタインやシュムクルの首長でありハエ(後の日高国沙流郡、現在の日高町門別地区) に拠点を持つオニビシもまた惣大将である。
シャクシャインはメナシクルの副首長であったが、カモクタインは1653年にシュムクルによって殺害されたために
首長となった。
シャクシャインにオニビシを殺されたハエのアイヌは松前藩庁に武器の提供を希望したが藩側に拒否されたうえ、
サル(現日高振興局沙流郡)の首長ウタフが帰路に疱瘡にかかり死亡してしまった。
このウタフ死亡の知らせを、アイヌ人は「松前藩による毒殺」と流布した。
この流布を以ってアイヌ民族は松前藩、シャクシャインは蝦夷地各地のアイヌ民族へ松前藩への蜂起を呼びかけ、
多くのアイヌ民族がそれに呼応した。
こうして事態は惣大将や地域集団同士の争いから多数のアイヌ民族集団による対松前藩蜂起へと移行した。
このシャクシャインの戦いを経て、松前藩は蝦夷地における対アイヌ交易の絶対的主導権を握るに至った。
その後、松前藩は中立の立場をとり蜂起に参加しなかった地域集団をも含めたアイヌ民族に対し
七ヵ条の起請文によって服従を誓わせた(『渋舎利蝦夷蜂起ニ付出陣書』)。
これにより松前藩のアイヌに対する経済的・政治的支配は強化された。
日本の北の端(北海道)と南の端(沖縄)には江戸時代以前には全く別の文化・歴史があります。
現在の国土の認識になってから400年も経っていいない訳です。
日本に帰属してよかったのでしょうか?
2012年6月21日
早明浦ダムの貯水量は一晩で100%になりました。
しばらくは雨も必要無いのですが、明朝にかけて豪雨になりそうです。
自然は思うようにならない。だからこそ自然なのかも?