1942年6月12日
 アンネ・フランクが13歳の誕生日プレゼントとして日記帳をもらい、アンネの日記を書き始める。
 
 ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる
 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、
 フランク一家は故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。
 
 しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、
 1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムの
 プリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた
 (フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入り、
 計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。
 
 ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家での事を日記に書き続けた。
 1944年8月4日にゲシュタポに隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員がナチス強制収容所へと移送された。
 同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。
 1945年3月上旬頃のことと見られている。
 
アンネ・フランクの肖像(1979年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)で発行された切手)
 
どんなに絶望的な状況になっていってもアンネは最後まで希望を捨てなかった。
1944年7月15日の『アンネの日記』には次のような記述がある。
自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。
にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。
たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。
 
2012年6月12日
 朝から雨です。ただ救いは明日の降水確率が少し低下(30%)して、
 傘マークがなくなっていることだ。
 ゴルフは雨の中はイヤだなぁ・・・!