1977年5月19日
  ダイレクト・オリエント急行が廃止され、パリ発5月19日、イスタンブル発5月22日の列車が
  最終列車となった。
  これによりパリ - イスタンブル間の直通列車は消滅した。
 
 オリエント急行の起源は国際寝台車会社が1883年に運行がはじめられた
 パリ-コンスタンティノープル(イスタンブル)間の列車(当時は一部船舶連絡)である。
 その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ国際寝台車会社の列車群が「オリエント急行」を
 名乗るようになった。
 
 オリエント急行の開通記念列車は1883年10月4日夜にパリ・ストラスブール駅(現パリ東駅)を発車し、
 6日かけてコンスタンティノープル(イスタンブール)に到着した。
 なおオスマン帝国では首都の市名を「イスタンブル」と称していたが、
 西ヨーロッパでは旧名の「コンスタンティノープル」が使われており、
 「オリエント急行」の行き先も旧名で表記されていた。
第二次世界大戦以後のオリエント急行
1962年にシンプロン・オリエント急行は廃止されたが、
ダイレクト・オリエント急行が運行されるようになった。
 
アガサ・クリスティは、考古学者である夫が中東方面に赴く際に、
度々シンプロン・オリエント急行に同伴して乗車したといい、
同急行を舞台とした『オリエント急行の殺人』を1934年に発表している。
 
1974年に映画化された『オリエント急行殺人事件』は、
同年度の第4回アカデミー賞では、主演男優賞、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、
作曲賞、衣裳デザイン賞の6部門でノミネートされた。
そのうちイングリッド・バーグマンが助演女優賞を受賞した。
映画に登場した230G353号蒸気機関車
 
 
2012年5月19日
 昨日のゴルフは五月晴れの絶好のゴルフ日和だった。
 次回は7月27日コートベールCCでの再会を約束して散会した。
 結果は・・・・・・・・・・・・・東急・・・・・・・・・トウキュウ・・・・・・・・・・10・9・・・・・。
 まあ結果は悪かったが、次回に繋がるフォーム改造のアドバイスもあったので・・・・!