1598年4月20日
 豊臣秀吉が京都・醍醐寺で最後の花見を行う(醍醐の花見)。その約半年後に没する。
 
 豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の者など
 約1300名を従えて盛大に催した花見の宴である。
 その日の輿の順も記録に残されており、1番目に北政所、2番目に淀殿、3番目に松の丸殿、
 4番目に三の丸殿、5番目に加賀殿、その後に側室ではないものの長くつき合いのある
 まつ(前田利家正室)が続いた。
 宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い、
 まつがその場をうまく取りおさめたという話が伝わっている。
 
 醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」を催している。
 
墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。
 
2012年4月20日
 間食禁止の効果はー0.4kg(前日比)だったが、なにせ時間が無い。
 15時間後には恐怖の検量が待ち受けている。
 こうなれば、とぼけるしか無い。トホホッ!