1185年3月22日
  治承・寿永の乱の屋島の戦いがおこなわれ源氏方が勝利。
 
この頃の屋島は独立した島になっていた(江戸時代の新田開発により陸続きに近くなった)。
干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意。寡兵であることを悟られないために、
義経は周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。
海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、内裏を捨てて、
屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。
 
夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。
外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、那須与一を推薦され、
与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、
もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。
矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。
しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。
『平家物語』の名場面、「扇の的」である。
 
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の1180年から1185年にかけての
6年間にわたる大規模な内乱である。
後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、
最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に
坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至る。
 
屋島の戦いの後、瀬戸内海の制海権を失った平氏軍は長門へ撤退する。
1185年3月24日、関門海峡の壇ノ浦で最後の戦いが行われた(壇ノ浦の戦い)。
序盤は平氏が優勢であったが、やがて劣勢となっていく。
阿波水軍の裏切りもあり平氏の敗色が濃厚となるに従って、平氏の武将は海へ身を投じていき
、安徳天皇と二位尼も三種の神器ともに入水した。この戦いで平氏は滅亡した。
三種の神器)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたというを指し、
日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。
 
2012年3月22日
 今日は散髪に行く予定だ。
 昨日息子が行った理髪店で、もう30年も御世話になっている。
 妻は激安のお店に行ったらと言うが、
 ”床屋”はなかなか変えられない。なぜか落ち着くのだ。
 値段は2倍以上するのだが・・・・・・!