前回書いた図の補足、遅れてみません。

もう少し時間かけてかんがえてみようと思ってます。


フランクル心理学のゼミに行くと、頭と心にとくに心に

「ががあああっっ」と、いろんな思いがなだれ込んできます。

それだけ中身が濃いです。

今回で7回目ですが、つい最近までまで、帰りの新幹線は、自己嫌悪で

「んがあぁー」って落ち込んで帰ってきました。


今回は、酔っ払って帰ってきたので、今来てます。

でもだいぶ小さくなったなぁ。「んくわー」って感じ。

何書いてんだか。


コメントいただくseiさんに返事書いてて、わたし武道の”武”もしらないくせに

真剣白刃取りを思い出しまして。


今回のフランクル心理学のゼミでも「あきらめる」という言葉がキーワードで

出てきたんですね。

「あきらめる」ことが、新たな人生へのキーポイントになる??


わたしの好きな漫画の「子連れ狼」に真剣白刃取りが出てくるんです。


真剣白刃取りってのは、相手が振りかざしてきた刀を

素手の両手で挟んで受けとめるやつね。

ちょっとでも手を緩めたら、自分の頭に刀が

降りかかる。


市原悦男の目指せ武芸の達人


真剣白刃取りについて、子連れ狼こと

拝一刀が相手に語りかける



「両手に挟まれし白刃は、


ひくもならず。押すもならず。


助かる道はただひとつ


白刃を捨てて、とび退る(スサル)のみ


白刃を捨て、武士として生きられよ


されば死中に活あり」



うーん。女の方にこの状況わかるかなぁ。


わしは何度も言うように武道などさっぱりのくせに

のたまいますが、真剣白羽取りの極意は、もちろん刀を素手で

はさむワザ自体、おっとろしい事で、死ぬほど鍛錬せねば、

できんのだろうと思いますが、

この間が素晴らしいのだと思うのだぁ。

これを捨て身で相手に語りかける”愛”といわずなんと言う~。


刀を振りかざし、素手で受け止められている間に、

相手には、強烈な思いが駆け巡る。


今まで培ってきた剣のワザを捨てるのか?

負けを認めるのか?

しかし、現実のこの刀は引くことも押す事もできん。


真剣白羽取りは、自らの命を懸けて、

相手に新たな生き方を提案する”愛”を持ったワザなのだ。


フランクル心理学で言うと、こういう「進むも地獄、戻るも地獄」

のような状況で、自ら刀を手放す。

このことを「あきらめる」というキーワードで語るんですな。

そして、その時同時に、新しい生き方を得る。


ふ~む。子連れ狼さいこー。


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     穴の開いた靴下を娘が、素晴らしいアイテムに甦らせてくれた。えらいぞ。


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