◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


いや、まえに娘しゃんとエド・はるみごっこしたもんで。(・・。)ゞ

鳥居みゆきごっこもしますよヽ( )`ε´( )ノ

今日の記事は、後生ですので必ず昨日の記事を先に読んでください。

逆さことばについては、ずっと書きたかったんです。気付きとして。

逆さことばのほんとうの醍醐味は、昨日のような一世一代の気付きです。

鬱病やひきこもりの方との生活。それは、一生続くかもしれません。

そして、当初の人生計画がすべて狂ってしまうかもしれません。

そのような出口の見えないどん底のような気分の中で、もしかしたら

鬱病やひきこもりの方は、わたしに自分を見つめる機会を与えてくれる人

だったのか?という気付きは、人生の大どんでんがえしです。



このように逆さことばで人生を考えてみれば?という記事は前々から

ずっと書きたかったのですが、なかなか書けなかった。

受け取り方によっては非常に危険な勘違いもあるからです。

ほんとにに真剣に人生を考えて、なおかつ出口の見えない

そのような時、逆さことばは大きなヒントを与えてくれるかもしれません。



心の病気から抜け出した手記を読んでいると、けっこうあるのが、

「病気を直さなくちゃ、直さなくちゃ。と焦っていたけど、ある時

治らなくたっていいじゃん。病気と仲良くしていこう!と思ったとたん

好転した」

なんて話。



ヴィクトール・フランクルは自分の命をかけて、一世一代の考えかたを

残してくださりました。

強制収容所に入れられて、どうすることもできない。

その逃げる事のできない、避けることのできない、出口の無い宿命。

全てをあきらめるしか道は無いように見える状況。

生ける屍のように惰性で生きるだけなのか?



そのような状況でも人間は未来に希望を持つ事ができる。

人間はどんな状況にあっても未来に希望を持つ事ができるのを

自分で証明してくれたのが、ヴィクトール・フランクルなんですね。



すべてのことに意味がある。いいですねー。

もうひとつ。フランクルから素晴らしい言葉を。

心が病気になっても精神が病むことはけっして無い。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇