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いや、まえに娘しゃんとエド・はるみごっこしたもんで。(・・。)ゞ
鳥居みゆきごっこもしますよヽ( )`ε´( )ノ
今日の記事は、後生ですので必ず昨日の記事を先に読んでください。
逆さことばについては、ずっと書きたかったんです。気付きとして。
逆さことばのほんとうの醍醐味は、昨日のような一世一代の気付きです。
鬱病やひきこもりの方との生活。それは、一生続くかもしれません。
そして、当初の人生計画がすべて狂ってしまうかもしれません。
そのような出口の見えないどん底のような気分の中で、もしかしたら
鬱病やひきこもりの方は、わたしに自分を見つめる機会を与えてくれる人
だったのか?という気付きは、人生の大どんでんがえしです。
このように逆さことばで人生を考えてみれば?という記事は前々から
ずっと書きたかったのですが、なかなか書けなかった。
受け取り方によっては非常に危険な勘違いもあるからです。
ほんとにに真剣に人生を考えて、なおかつ出口の見えない
そのような時、逆さことばは大きなヒントを与えてくれるかもしれません。
心の病気から抜け出した手記を読んでいると、けっこうあるのが、
「病気を直さなくちゃ、直さなくちゃ。と焦っていたけど、ある時
治らなくたっていいじゃん。病気と仲良くしていこう!と思ったとたん
好転した」
なんて話。
ヴィクトール・フランクルは自分の命をかけて、一世一代の考えかたを
残してくださりました。
強制収容所に入れられて、どうすることもできない。
その逃げる事のできない、避けることのできない、出口の無い宿命。
全てをあきらめるしか道は無いように見える状況。
生ける屍のように惰性で生きるだけなのか?
そのような状況でも人間は未来に希望を持つ事ができる。
人間はどんな状況にあっても未来に希望を持つ事ができるのを
自分で証明してくれたのが、ヴィクトール・フランクルなんですね。
すべてのことに意味がある。いいですねー。
もうひとつ。フランクルから素晴らしい言葉を。
心が病気になっても精神が病むことはけっして無い。
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