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精神障害の困ったおじさんとのトラブルについて経緯を説明しようと思ったのですが、
デリケートな問題ですので、どうしても先に精神障害に対する差別について書きたいです。
わたしの精神障害者に対する気持ちを順を追って書いていくのがわかりやすい気がします。
もちろんわたしの家庭環境、今までの境遇からの状況からしか書くことはできないです。
これはすべての方が違うわけですから。
でもちょっとでも似たところがあれば参考にしてほしいです。
そしていっしょに当時の自分に対する思いを今のわたしが客観的に書いていきます。
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まずは20歳まで・・・・まったく精神障害者とは接点がありませんでした。
精神障害と聞くだけで怖いと思いました。何をするかわからないというイメージを
持っていました。道で挙動不審の人と出会うようなことはありましたが、遠巻きに
見るだけで、けっして近づくことはありませんでした。
ここにはもちろん差別はあります。でもこれは仕方が無いと思います。
怖いのですから。
このころは、自分に対して根拠の無い自信のようなものを持っていました。
心の中で、自分にまったく自信が無いことにまったく気が付いていません。
30歳まで・・・・少し社会勉強もするようになってきました。
純粋に”差別は良くない”という意識を持ち始めます。
ところが実際に精神障害の方と接触する機会はほとんどありませんでした。
しかしこの頃、精神障害の方と出会う機会があったならば、何か話をしてみようと
努力したかもしれません。
ここから少し差別の内容が複雑になってきます。
もちろん専門家ではないので、わたしが経験したことしか書けませんが。
このころもまだ、自分に対して根拠の無い自信のようなものを持っています。
未だ、心の奥底では自分にまったく自信が無いことにまったく気が付いていません。
自分探しなど、まったく始める気持ちすら起こっていません。
この当時は読む本は成功哲学書ばかり。またセミナー等によく行きました。
この当時、もし精神障害者の人と話をする機会があったならば、
差別をしない行動を心掛けたと思います。見た目は。
それがまわりの人にも見られてるわけですから。
この当時のわたしは、”良い人に見られたい”、”良い人に思われたい”という
思いが非常に強かった気がします。それが自分の事業の成功に繋がると信じていました。
この状態のときの差別心は心の奥に、しかしけっこう浅い部分に隠れています。
ちょっとしたことで、それが出てきます。
気のやさしい精神障害の人と話をすれば、「いいことをしたなぁ」という気分で
済んでいきます。たぶん。
しかし反抗的な態度をする精神障害の方などと話をすると、頭にきて
隠れていた差別心が火を噴きます。
この差別が一番怖いです。
知的障害の方と接したときの話を時々記事に書きますが、そのようなことが
けっこう頻繁に起こります。
知的障害の人は、人工的なやさしさを拒否することがあります。
また彼ら(彼女ら)は、心の奥に隠れた差別を感じ取って、その人に近寄らない
ことがあります。これはこっちサイドとしては、かなりショックです。
このような恥ずかしい経験、体験が自分を見つめる始まりになる可能性があるわけで、
ここで自分を見つめるようになるかどうかが、ひとつの人生の大きな分岐点になります。
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