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唯識で今日勉強したことは、「唯識3年、倶舎(クシャ)8年」。

『倶舎論という学問の勉強を8年間すれば、唯識は3年でわかる』んだそうです。

足したら11年。

「なはは・・・」みにもるさん、言ってました。本を読んで血肉にするって。

ほんとそう思います。わし、60歳になったころでもいいから、

唯識を自分の言葉で語れるようになりたい。ゆっくりやります。


今日読んだ本はこの本。


ひとが否定されないルール―妹ソマにのこしたい世界/日木 流奈
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検索してみると、一時期いろいろ揉めた本らしいですな。

わたし、NHKで流奈くんのドキュメンタリーを見た覚えはあります。

結局、この本は12歳の流奈くんがほんとに書いたのか、流奈くんの

お母さんが書いたのかでもめたんでしょうか。

わたしこのことについては、何にも知りませんでした。


で、とにかく内容はびっくらこきました。どのような意見が出てるのか知らないのですが、

仮にお母さんが書いたにしても素晴らしい内容だと思います。

いやほんと。まるっきりフランクルと同じこと言ってる部分もあるし。

『いろいろな人がいろいろな役目をしている。わたしは脳障害という役目をいただきました。』

これなんか、『すべてのことに意味がある』というフランクルの言葉に通ずるし。

とにかく流奈くんをここまで育てたお母さんがすごいなーと率直に思います。

きっとお母さんの心の中は、いろいろな思いで、自分との戦いだったと思います。


で、これはほんとうに流奈くんが書いたとわしは思いたい。

けど、これってえらいことですよ。おじさんもこの本が12歳の子が書いたなんて

信じられない。つーか信じますけど。


あなたは脳障害でつねに死を意識していたわけで、ストレートに書きますが、

知識と智慧(チエ)・・(いつかの記事のチエの字間違ってました。)

知識と智慧のうち、智慧を感じた。理解した。身につけた。そのあとから、いろいろな本を読んで

知識を吸収して、そのことを言葉にしたわけです。

おじさんは、今必死で知識を求めているわけで、その知識を智慧に変える道を模索

してるわけです。これおじさん42歳で、「あ、43か」あと31年戻ればいいわけです。

つまりはほんとの意味でもっと深く自分を見つめれば、君のようになれるかもしれない。

ただきっと、おじさんはそれを感じ取る器官が働かなくなってるんだな。

だから、ぐり~っと大回りをしている。車で走っていて目的地を過ぎてしまったときに

右へ曲がって、また右へ曲がって、これくらい走って、また右へ曲がれば

元に戻れると計算しているのに、実際には大人になると、通行止めだったり、

右折禁止だったりして、戻れない。


他人の介助なしに生きることの出来ない重度の障害者の人は、必死で他人の気持ちを

理解しようとすると思うんですよね。つまり他人を理解しないことには自分の死に直結

するわけです。ここで何かを感じ取る器官がエンジン全開で活動している。

ほんと障害のある人からは、得るものが多いと思う。


以前、書いたこの本↓もいいですよ。よかったら。


こんな夜更けにバナナかよ