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少し前にコメントいただいて、あ、そうだ。『夜と霧』の紹介のとき。

『啐啄同時』(そったくどうじ)という言葉を紹介しました。

『啐』というのは、ひなが今まさに卵からかえろうとして、卵の内側からついばむ様。

『啄』というのは、その様子にすかさず親鳥が気付いて、卵の外側から卵のカラを

つついて、それを助ける様です。


わたし、ここしばらく老人介護施設に入り浸りだったんです。

その間ずっと『啐啄同時』の考えがずっと頭の中にありました。

「あ?」「あ♪」「あ!」という感じ。


『啐啄同時』の説明には師匠と弟子の関係や、親子の関係がたとえに出されます。

弟子が気付くまで師匠が待つわけですね。

修業で早朝、弟子にそうじをさせます。ところがその日はたいへん風の強い日で

掃いても掃いても落ち葉が落ちてくる。

弟子がぼやくわけです。「これでは終わりません」

師匠は何も言わない。

ある日、弟子が気付く。「あ?」

師匠がそこですかさず、「なんで掃除をするのかわかるか?」

弟子「はい、自分のためですか?」

師匠「今思えば、風が吹いてくださったこともありがたく思えるだろう」


結果ももちろん大切でしょうが、経過がもっと大切なわけです。

朝早く起きて、体を動かし落ち葉を掃除する。

そのこと自体に弟子は何か気分の良さを感じ取ったわけです。


弟子はそうじをやり終えることの気持ちよさに重点を置いていたわけです。

それは、やり終えた満足感。達成感。

きれいに掃除した事を師匠にも見てもらい、褒められたい。


しかし、自分の体調に気をつけてみると、自分が気分良くなっている。

そうじをする事自体が自分の喜びではないか!

もしも風が吹かなかったら、いつもきれいになった喜びに隠れて

そのことに気付かなかったではないか!

そうすると以前は、風が吹いて落ち葉が落ちると怒っていたが、

よく考えると、風が吹いた事はこころからありがたい事だと思えるではないか!


劣悪な環境の中での激務。ストレスが溜まるのは当然です。

すべての仕事を完全には終えることはできないかもしれない。

しかし淡々と自分の仕事をこなす事は、自分のためではないか。

そのように自分で納得できれば、ストレスは極端に減るわけです。

ようするに自分の生き方、働き方に説明がつくわけです。

これを僧侶の世界では『会通(えつう)がつく』というそうです。



いやー今日の記事は途中で違う方向へ行ってしまいました。

題名の回峰行について、まだ何もかいてないし(笑)

聞いてください!老人介護施設にずっと居て、おばあさんたちと世間話を

してたんですね。

わたし頭の中に、オリジナルのセラピーのアイデアがあってずっと考えてたんです。

できた気がします。だいたい。おばあさんと話してて(笑)

ということで、新しい事業も早く始めたいです。


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