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明るいチベット医学 大工原彌太郎(だいくばら やたろう)
情報センター出版局 1988
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やっぱりしばらく唯識(ゆいしき)を勉強しようと思います。
チベット医学というのは、唯識が基盤となってるそうです。
タイムリーな話題だと思って。
仏教では八万四千の教えとたとえられますが、同じ状態の命というものは
存在しないと考えます。
苦しみ、悩み、喜び、そして病気、障害、すべて人それぞれ違う。
たとえば、癌を持っていることが、その人の勢いを作っていたりする事もある。
そのバランスをはずしてしまったら、その人はガタガタにくずれてしまうかもしれない。
そのようにひとりひとりのからだ全体を診て、対処していこう。というのが
チベット医学だそうです。
しかしこう書きながらも実際自分が癌になったら、自信ないよな。
なんとチベット医学の医者になるには、仏教の知識はもちろんですが、
極寒の地や牢獄の中に入って、そこで生き延びる術や肉体をコントロールする方法を
自ら体験したり、断食して自らを餓えさせて、五感を研ぎ澄まし感覚を最大限に
働かせる術を磨いたり。そのようなトレーニングをするそうです。
西洋と東洋の医学の違いは、時々目にしておもしろいですけど、
チベットを入れるともひとつおもしろいです。
治療法の考えかたは、西洋は”病気に対抗する”、中国は”健康に導く”に対して
チベット医学は、”からだをだます”とか、”からだの相談にのる”ですって。
「いいですねー」好きになりそう。
治療の姿勢は、西洋が”除く”、中国が”抑える”、チベットは”破綻しなければどうでもよい”。
「??」「びみょー」「むっちゃ不安」
しかし、ほんとうに例えば癌になったりしたら、やっぱり自分としてはしゃれにならない。
なんとしても治したい。そうしないとわしなんか気が弱いので、精神的にまいってしまう。
そういう意味では、チベット医学は有りかな。
癌患者の人にわざと他の病気に感染させて、癌が消えてから他の病気を治す
なんてこともあるそうです。
こんなタイムリーな時に、素人がどうのこうの言うのもなんですが、
インドからチベットに伝わった仏教の経典が4,800部あるそうです。
そのうちの900~950部が、かの有名な三蔵法師などによって、中国へ持ち帰られた。
さらにその中から、日本に渡ってきたのは290部だそうです。
日本ではその装飾過多の漢訳の290部を読むしかないのだと。
ちょっと意地悪な言い方をすると、はたして中国に仏教の思想が理解できたのかどうか。
その証拠にもう今の中国には仏教の経典はほとんど残っていないと他の本でよみました。
それに『禅』の思想も、元はといえば中国の達磨大師(ダルマ)が始まりとされていますが、
中国では、とっくにすたれてしまってるそうですもんね。
「はあぁ。チベットどうなるんだろ」
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