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コメントありがとうございます!

おー試してくださって何か感じてくださったらほんと嬉しいですねー!

シュタイナー教育についてはわたしはまったく素人ですから、

是非本を読んだり、検索して調べてみてください。


シュタイナーは読んでいて心がこもっていますし、気付きの練習や

霊能力開発の修行にしてもストーリーがあって好きです。


今回の”無意味な事を一日5分間行う”という訓練にしても

仮にもし無意味な事を何かすることが気付きになるとすれば、

すべてに効率を求めて、無駄を省くのがよいとされる今のビジネスモデル

を続ける限りは永遠にその事に気付かないことになります。

そうするとたとえばそのような中で、判断が停止してしまうような状況に

なるとすれば、病気や何かの大きなトラブルのときこそ、

気付きのチャンスだということが実感できます。


生きるということ/エーリッヒ・フロム
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前回はもうひとつシュタイナーの”植物の種を見つめる”という訓練法を

紹介しましたが、植物からの気付きということで、フロムの本からも

紹介します。

フロムは”自己中心性と利己心を捨てろ”というので、すべてが好きではない

のですが。

毎度のことですが、すべてを読んで理解してるわけではないのです。(汗)


フロムはこの本の中で、鈴木大拙の「禅に関する講義」からの植物の話を

引用してます。これがすばらしい。

かんたんに言うと3人の詩人、歌人の道端に生えている草花に対する

態度の違いを説明しています。


イギリスの詩人テニソンは、ひび割れた壁に咲く花をみつけ、

その花を割れ目から摘み取ります。

そして「お前は何であろう?」と花に語りかけます。

花は当然枯れてしまいます。


次は松尾芭蕉の俳句。

”よく見れば なずな花咲く 垣根かな”

と。松尾芭蕉は花を摘むことを望まないわけです。

手を触れさえもせず、芭蕉がすることは、花を見るために目をこらす

だけです。

そこにある花をただ見つめるだけです。


ここまでが、鈴木大拙の「禅に関する講義」からの引用です。

フロムはこれに追加でゲーテの詩を載せています。

これがいい。ゲーテは花を摘み取っては、花がかれてしまうことに

気付き、根をみんな付けたまま掘り取って家へ持ち帰り、

家の庭へ植え替えたのです。


整理すると


テニソン・・・花を摘み取った。(枯れてしまう)

芭蕉・・・・・・花をただ眺めるだけ。(何も変わらない)

ゲーテ・・・・花を庭に植え替えた。(花は死なないが、環境が変わった)


フロムはこの3人で、”持つ”ことと”ある”ということの考え方の違いを

説明しています。


テニソンのしたことは”持つ”を表しています。”持つ”こととは、

自分の欲望を満たすために、お金や権力いろいろな物を持つことを

表しています。


芭蕉は”ある”を表しています。ただそこにある。

大原紫苑さんの判断や批判は一切なく、相手を見るということに

通じると思います。


面白いのはゲーテです。ゲーテのとった方法はこの中間です。

テニソンの考えかたを自己中心主義の世界として、

芭蕉の世界を相手を思う利他の心の世界とすると、

ゲーテは自己中心主義を持ちながらも、相手を思うという微妙なところ

を表しています。


これ人間に置き換えて考えると面白くないですか?


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