コメントありがとうございました!

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題名はフランクルの本から借りました。

フランクル心理学を読んでいると、ところどころで哲学の知識が無いと

わかんないところが出てくるんです。

それで、何度も哲学の本挑戦したけど、次の日にはすぺーっと

忘れてるんですねー。でもこの本はよかった。

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)/竹田 青嗣
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この本は、心にストンと落ちました。

といってもたまたま私が竹田先生の語り口が好きだっただけかもしれませんが。

わたしには、とてもやさしさ溢れる哲学入門でした。


以下はつまんないと思います。今日は考えながら自分の為に書いてますから。

抜書き↓


思想をよく育て上げる事は、自分のありようを刷新し、

たえず自己了解を深めていくことと違ったことではないのである。

したがってこの他者との相互了解の道すじは、詮じつめると、

各自が自分を他者や世界とどのように関係づけるかについての

自己了解のプロセスを通してのみ可能なのである。

わたしが、哲学や思想は、結局は”自分自身を知るための”

ひとつの独自な方法だと主張するのは、こういう点に基づいている。


この本に”独我論をいかに破るか”というのが出てくるのですが、

どくがろん??wiki見てもいまいちわからん。で、またこの本から抜書き。


なんらかの真理(信念)によってひとびとや現実を判断-裁定するのではなく、

自分の信念のほうをひとびとや現実によって試すこと。

このプロセスにおいてのみ、人間の脳裡に棲みついている「正しさ」は

”独我論”を抜け出す事ができるのである。


この本と離れていくのかもしれないけど、独我論ってのを

勝手に”自分の考え”ってのに変えて考えると、

”自分の考え”ってのは誰でも持ってるわけで、

その考えは誰かに了解された時にとっても嬉しいんですよね。

逆に言うと”自分の考え”が誰かに了解されない限り悲しい。

それを抜け出すには、実社会に出ていろいろ体験して、

”自分の考え”を試して誰かに了解されて初めて自分に自信がつく。

そういうことなのか?


自分のいままで生きてきたいろーんな悩みを考えてみると、

”自分の考え”を認められたい。自分の事を聞いて欲しい。

だったような気がするんですね。

で、嘘でも”自分の考え”が認められたりする時、嬉しかった覚えがある。

嬉しかった。というのは、気持ちよかった。ということですよね。

とにかく自分が気持ちよくなりたい一心だった。と思うんです。

だから逆に”自分の考え”が認められない状態が”悩み”や”ストレス”だった。


で、自分が気持ちよくなる方法は、他人に認められるしか無いと思ってた。

ところがちょっと考えると他の人だってみんな同じ事を思ってるのかもしれない。

で、他の人の考えを無条件にまずは聞いてみる。

すると相手は心を開いてくれることが、やっぱりあるわけです。

これが『相手の立場に立って物事を考える』ということ。

で、ここまでは頭で考えてやれること。

これは普通自分にとって何らかの利益がある時しかやらない。と思う。



で、人間関係の”思考の転換”というのは、

無条件に相手の考えを聞いたときに、実際に自分が気持ちよくなるのを

体感することじゃないか?と今は考えてる。

大原紫苑さんのように”判断や批判は一切なく”相手の話を聞くことは、

自分がとっても気持ちよくなれる。という風に考えてみる。

ま、前回書いたように大原紫苑さんの場合は次元が違うと思うのですが。


『自分の考えを誰かに認めてもらうこと』と同じくらい、

『相手の考えを無条件に聞く事』が気持ちよいことであれば、

自分に利益があろうと無かろうと人の話を聞く事ができる。

ここからどうも段階的に体験するごとに相手をほんとうに思うこころが

育っていくような気がするのですがどうでしょう。

この先ははたしてどうなるのか。

そして、大きな病気になったりすると、このようなステップを一気に

ジャンプすることもある。
わからん。


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