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ある意味で死っちゅうもなぁアイロニカル(皮肉)な面を伴って現れてくんじゃ。
ひとつん命が生まれると、その赤ん坊は泣くんじゃが、赤ん坊を見つめる
わしらぁ喜びでその新しい命を迎えますけぇの。
ひとりの人間がこの世を去る時、その人は黙り込んで返事をしませんが、
死にゆく者を見守っとるわしらぁ悲しみ、泣いとるんじゃけぇの。
でも、わしらが泣いとる、その瞬間に、その命は永遠の喜びの中で
微笑んどるんかもしれん。
人間の誕生と死が与える、そがぁな逆向きの関係こそ、死と復活の
関係の現われじゃゆぅて思われますけぇの。
死は人間を最も偉大に、ほいでからに、美しゅうつくりかえますけぇの。
生の終点に立ち、死を前にしとる人間は、限りない愛と夢を発揮する
ことがでけるような、内的潜在力をひろげとる状態にあるっちゅうことじゃ
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アメブロニュースで見つけて、昨日の記事を広島弁に翻訳してみました。
すっごく味が出たように思うのはわしだけだろうか。