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暖かいコメントありがとうございます。m(_ _ )m
レスしてませんが、読んでます。ありがとうございます。
見つけました。大丈夫ですありがとうございました。
鈴木秀子さんの『死者と生者の仲良し時間』がきたので、読んでみました。
けんちゃんの担当のお医者さんの話は3人出てくるんですね。
けんちゃんが亡くなった日、けんちゃんの遺体が団地の自宅に帰ってくる。
けんちゃんが亡くなった事は近所の方たちにも話さなかったそうです。
部屋でひっそりとけんちゃんが眠るように横たわっている。
ご両親がその横にじっと座っている。そこへけんちゃんの担当だったお医者さん
たち3人が訪れる。お医者さん方は、けんちゃんに手をあわせたあと、
いっこうに帰る気配が無い。そのあと、例の話が始まるわけです。
お医者さん方は結局、朝の5時までいて、そのまま病院によれよれの
背広のまま戻った・・・と、そういう話でした。
けんちゃんが「ここに寝たら」と言ってくれた話と別にほかの2名の
お医者さんがけんちゃんと過ごした体験を語っています。
そのうちのひとつの話ですが、このような話です。
お医者さんがけんちゃんの部屋に入ると、けんちゃんは苦い薬を口に入れた
瞬間だった。そして目の前にその薬を流し込むためのコップ一杯の水があった。
その時、お医者さんが「先生、のど渇いてるんだ」と言ってしまった。(それも
よく考えるとどうかと思うのだが・・・)そしたら、けんちゃんがそのコップを
お医者さんに「飲めば!」と言って差し出してくれた。
そのけんちゃんの思いにお医者さんは感動した。と、そんな話です。
これわたしまったく同じこと体験しました。→過去記事
やっと見つけました。心の中で感動ですが意外と冷静です。
いままでやってきたあらゆることが繋がった気がします。
まさに精神障害者との体験に対する思いが自分としての人に伝えたい事
だったのですが、これが『だれか自分の事わかってほしい』という思いに
なっていました。これは自分でわかっていたのですが、そのうえで、
自分の思いは誰かと共有できない限り、独り言だ。という思いが常に
ありました。
うろおぼえの哲学の知識で、”独我論(ひとりよがりな考え)は誰かと共有
するしか、独我論を抜け出す方法が無い。”ということを思い続けていました。
自分のたばこであることも忘れてプレゼントしてくれた知的障害者に感じた
思いと同じ事を感じた人が、この本の中に居た。けんちゃんの担当のお医者
さんが、わたしと同じ思いを感じていた。これでわたしとして充分です。
いがい。誰かに共感してもらうまでブログを書き続けるつもりだったが、
こういう納得の仕方があるとは思いもしなかった。
本の中に共感できる人をみつけて、それで自分が納得できるとは思わなかった。
とにかく人間は気分だけで、まったく変わるということがよくわかった。
頭から負荷が減った感じ。ってわかる~?脳みそに余裕ができた。
重たいプログラムを削除して快適に動くようになった感じ(笑)
あとほんとは、この手の見た目がエッセイの本に大切なことが
書いてあるだろうことは最初から予想していた。
きらいなんだよね。この手のしんきくさい本がね。
これで読めるようになりましたねー。なんと小説もばんばん読めるような
気がします。
すべてが自分の『だれか自分の事わかってほしい』と思っていた。という
思いに繋がります。自分に自信が無かった。
わたしと同じ思いをした人がいた。という事実だけで充分です。
ただ、結果的に本による自分探しは私の場合はうまくいったが、
他の場合は、疑問が出てきました。
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