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昨日のブログでたくさんコメントいただいて、ほんと嬉しいです。


改めて思ったのは、親への思いというのは、皆それぞれ深い思いが


あるんだなあという事です。


ただ親に関してはやはり人それぞれなので、今日は少し親からは離れて


みようと思います。ちょっと岸田さんから脱線しますが、昨日コメントに


いただいた中で、”子どもをまっとうに愛せない親”というのをいただきました。


”まっとうに愛する”この”まっとうに”について無性に書きたくてしょうがない


のです。


僕の今の考えで”まっとうに愛する”とは以前のブログで書いてるんですが、


亀井勝一郎さんの言葉が一番しっくり来るのです。



「愛とは凝視の能力である」

・・・相手の心の中から、その運命までをみつめ通したいと願う心・・・・



凝視とは目をこらして見つめること。


オーバーな例えかもしれませんが、障害を持って生まれた子どもを歩みは


遅くても立派に育てているお母さん。そのドキュメンタリーなんかテレビで


見て感動しちゃうんですけど、あれはまさしく子どもの運命から目をそらさず


みつめ続けてると思うんです。子どもの心の中からその運命まで目を


そらさず見つめ続ける。そういう気持ちが子どもには伝わるんじゃないかな


と思うんです。ま、”愛”ですから、親子に限らず男女の愛も同じではないか


と思うんですが。男女関係になると、「そこまでしなくてもいいんじゃない?」


なんて声が聞こえてくるような気がするんですけど・・・・


僕は目をそらさず、見つめ通したいと願う人は幸せな気持ちになれると


信じます。