東京のカウンセリングの先生が読者になってくださった。見てくださるかもしれない人がまた増えた。すごい嬉しい。ブログの楽しさに はまったと思う。
カウンセリングはたいへんだろうと思う。それは僕も精神障害者と10年間仕事をいっしょにしてきたから、まねごとだけどわかる。
それで障害者の人やいわゆる”弱者”と呼ばれている人たちに対する僕の思いをいいたい。
僕の性格はほんとうは障害者といっしょに仕事をしてはいけない性格だったと思う。
内向的で神経質。僕のような人間は予測できない行動をする人を極端にいやがる。
最初のころのブログにも書いたけど僕は自分の保身のために障害者を雇っただけなので、雇われた障害者にとってはとても不幸な事だった。恥ずかしながらたまに問題になる障害者を安い賃金で雇ったり、知的障害者に暴力や暴行なんて話をテレビで見るとゾッとする。ちょっとまちがったら似たようなことを自分がしていたかもしれないからだ。ただほんとに聞いてほしい事は10年のうち8年かかったが、僕が心から障害者の人の心を理解しようという気持ちが芽生えた事だ。健常者が障害者の気持ちを理解する事は基本的には不可能だと思う。ただ心から理解しようという態度だけで充分なにかしらの変化はあると思う。障害者の人に限らずニートなどの人も含めて絶対必要なのはとりあえず最初はありのままを受け入れてくれる一人の人間の存在だと思う。今、精神障害者の助けになっているのは、障害者を家族にもつ家族会、精神保健のテクニックを持ったスタッフの人々、もちろん精神科医の先生方、それからその他の理解ある人々等だが、実は僕のように精神障害者を怖いと思っていた人間がかかわっていくことがほんとの精神のバリアフリーにつながると思っている。でもリスクは大きい。一筋縄ではいかないと思う。傷害事件くらいは発生すると思う。意外と健常者が手を出すほうが多いかもしれない。
ただ障害が昔から大体一定の割合で常に発生していたとすれば、それを意味のある事というふうに前向きに解釈したい。弱者、弱者とあんまりメディアでいうから僕みたいな人間は心の奥で障害者をばかにする気持ちをもってしまう。実際には精神的に貧困なのは障害者より自分自身だったのだから。