愛知県の50歳の主婦が突然交通事故で夫を亡くした。
病院に駆けつけると同時に喪主となり、死亡時の報告を聞き、葬儀全般の準備、親族友人への連絡、食事やホテルの手配など慌しく時間が過ぎて泣く間もない。そんな彼女に 「頑張って しっかりして」とみんな声をかける。(私頑張ってるよ しっかりしているよ)と心の中でつぶやきながら頭を下げ続ける。出棺の時も同じ言葉をかけられ頭が張り裂けそうになった時、近所の奥さんが「もう頑張らなくていいよ」と声をかけてくれた。途端に大粒の涙が溢れ出た。
もう5年以上前の朝日新聞の読者欄の記事の抜粋です。僕はこの記事をコピーして今も机の上の方に貼っています。当時の自分に足らなかったもの というかまったくなかったものを知るきっかけになると思いました。心からの声というのは考えて出るものではない。でも自分の中からそんな思いは出てこない。なんでこんなに自分勝手な性格なんだろうと思い、子供の頃の記憶をたどったり
今までの人との付き合い方を思い出したりしました。ですが結局そんなものは考えて出てくるものではなく、考えれば考えるほど 行動が不可解な一貫性の無いものになってしまいました。その自己嫌悪の中で救われたのは、「思いやりは訓練で育つ」という言葉でした。(そうか訓練か)と割り切って今までなら恥ずかしくて言えなかったような言葉が言えるようになってきました。それと同時に なんとも表現できないのですが、今まで見てきた世の中の景色や仕事や家族など すべてのものが僕に情報を伝え始めたというか 停電が終わって突然ブレーカーがONになったような感覚を感じました。そこにあったのに 35年も見えていなかった 見ようとしなかった 見る術を知らなかったという事だと思います。