むかし、中学校の頃だと思いますが、夏休みに家でラジオをつけっ放しにしていると、「テレホン人生相談ーー」という声が聞こえてきて、「あ、またや」って思って、切ろかなって思うんですけど なんか聞いてしまう。加藤諦三さんですよね。その頃、加藤先生のアドバイスが すっごくきつく聞こえて きっつい人やなと思っていました。自己啓発書の類を読み始めてから、加藤さんの本もよく読みました。が、弱っている時読むと ぐさっとくるんですよね。私には。ストレートに私の隠している部分をいいあてられてしまっているので、「ちょっとまってよ」という感じです。今 手元にある加藤さんの本も10年以上前の本が多いですが、その頃は好きになれませんでした。今本屋さんへ行っても 私の感覚だけですが、加藤さんの本より 斉藤茂太さんの本のほうが目立っているような気がします。なんか世の中みんな疲れていて 癒しの斉藤茂太さんを求めていて、ストレートな加藤諦三さんはきっついのかなぁと、勝手に思っています。

 んで 最近、加藤さんの本を読み直すとすっごい ぐっとくるものがあって、というより昔ちゃんと読んでなかったんでしょうね。「いいなー」と思うことがいっぱい見つかります。ブックオフで100円でありますよね。昔たくさん売れたんですね。

 加藤諦三さんの「無理しないほうが愛される」から 仏教の三つのタイプの執着の話です。

 焼けるような暑さの中で一日中働いて やっと貴重な水を飲もうと水瓶のところへやって来る。ふたを取り、ひしゃくで水を汲み、飲もうとした。そのときにはじめて気がつく。蟻がどうしたわけか水瓶のなかにいて、ひしゃくにまでついている。そこでかんかんに怒る。「よくもこの場所の、このひしゃくに入ったな」そしてその蟻を押しつぶす。これが執着。

 蟻をつぶす前に考える。蟻も暑かったのだろう。そう考えて蟻をよけて水を飲む。これが非執着。

 そして最後に蟻がなんでかとか 自分が何かとか考えない。道徳を超越して反応する。自然に蟻にひとかたまりの砂糖を与える。これが無執着。

 私は無執着にはすでになれないので(というか無執着ならこんな事悩まないよな)執着から非執着へという事かな。交流分析の子供から親への事か。専門の人には 「こうだよ」といって笑われそうだけど、自分で理解っぽくなっている事がすっごい喜びだった。