「伊勢物語」を高樹の言にのぶ子の「小説伊勢物語 業平」と併せて読んでいます。高樹の言によれば」には業平と思われる男の「カケラ」や「小骨」が歌として散らばっているに過ぎません。時間軸を通すのも難しく、特定できない人物や出来事がバラバラに書き留められています。このような物語を最後まで読み通せるか自信がありませんが、「小説伊勢物語 業平」に書かれている順番にしたがって読んでいきます。今日は2段の「雨の後朝」です。17歳前の業平がこのような行動をとれる、驚きです。

 

原文

 むかし、男ありけり。平城の京ははなれ、この京は人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それを、かのまめ男、うちものがたらひて、かへりきて、いかが思ひけむ、時は三月のついたち、雨そほふるにやりける。


   起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮らしつ 

 

語句

西の京:朱雀大路から西半分。東の京に比べ土地が低く洪水が多かったもよう。「人の家定まる」につれ。平安京のにぎわいは東の京になっていった。

ひとりあり:通い婚時代の女の場合、夫と定める男のない状態を言う。

うちものがたらふ:しんみり話をするの意だが、男女の間では契りをむすぶこと。

 

口語訳

 昔、男がいた。奈良が都でなくなり、この平安京は、人の家がまだ落ち着いていなかった頃、西の京にある女がいた。その女は世の人より優れていた。その人は容姿より心が優れたいたのだ。通って来る男がないわけでもなかったらしい。それを、例の誠実な男、契った翌朝家に帰ってきて、どう思ったのだろうか、時は三月一日、春雨のしとしと降る状況の下で、歌を贈った。

 

  起きていたでも寝たでもない状態で夜を明かし、そのまま、春につきものの長雨に思

  いにふけって過ごしてしまいました、

 

感想ほか

 伊勢物語は章段を時系列で並べていないので、この場面が業平が若いころの出来事とは断定できません。しかし、光源氏が夕顔、藤壺たちと関係していたのが17歳のころ、このことから平安貴族では当たり前のことだったのでしょう。

 作者は、業平が「いかに思ひけむ」と評しています。いつもの後朝とはことなる感慨があったのでしょうか。「それが何か」は判りませんが、読者にかんがえさせているのではないでしょうか。