定家筆 御物本の「更級日記」冒頭部

 

あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど

 

 更級日記は菅原孝標女が52歳以降、夫に先立たれて淋しい生活の中で書かれた回想録。

悲しみと喜びの生涯を通して、彼女の心が生き生きと描かれています。私はこの作品はストーリーを追う本ではなく、作者の心の変化を感じとりながら読み進める本だなと思います。6月12日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、「物語に魅せられて 更級日記・平安少女の秘密」という番組が放映されました。更級日記中には作者は物語を書いたとは一行も記していませんが、物語作者になり経済的にも恵まれて、皇太子の乳母になる野心さえ持っていたのだと言っています。私にはこの真偽は判りませんが、このことを知って改めて作品を読み直してみましたら、作者の心をさらに感じ取れるような気がしました。少なくて更級日記と言う文学作品を読むのが楽しくなりました。

 

ストーリー

 更級日記は、物語に憧れていた少女が源氏物語全五十四巻を手に入れ、物語を暗唱するほど読み込みます。そして「私は今は幼いから器量がよくない。でも年頃になったら美しくなりくなれば夕顔や浮舟のようになれる」と夢想します。しかし24歳になっても訪れる男性は現れません。それどころか「浮舟のように山里にひっそり住まわさされて、花 紅葉 月 雪を眺めて、男からのすばらしい手紙が時々届くのを待ち、それを読みたいもの」とまだ夢想します。そんな作者も32歳になり大きな転機が訪れます。藤原頼通の孫にあたる祐子内親王家への出仕です。しかし宮仕えに馴染めずまた両親に家にいてくれと嘆かれ、結婚させられ、宮仕えを辞めます。結婚の翌年、夫は下野守として赴任、作者(34歳)は姪たちが祐子内親王家に出仕しはじめたため、その縁で時折宮家に顔を出すようになります。

 時雨降る夜作者が資通と語りあった時に詠んだ秀歌

 

     あさみどり花もひとつに霞つつ おぼろに見ゆる春の夜の月

 

 日記中に夫の記事ははほとんどないのに、夫の赴任中に源資通との物語的経験をながながと記しています。経済的にも豊かになったようです。しかし38歳以降の出仕の記事はありません。祐子内親王の父である後朱雀天皇譲位と関係あるのかもしれません。それ以降、過去の不信心を悔いて、47歳ごろまで、石山寺、初瀬、鞍馬、石山寺、初瀬、広隆寺へなど物詣に励みます。48歳の時阿弥陀仏が夢に現れ「このたびは帰りて、のちに迎え来む」と言われて極楽往生への期待を持ちますが、51歳の時、夫に先立たれ、子供たちも離れて住むようになり、老残の淋しい暮らしを送っている状態で日記は終わります。

 甥が訪ねて来た時の歌

 

      月も出でて闇にくれたる姨捨に なにとて今宵たずね来つらん

 

38歳の作者が経済的に豊かになり石山寺に参詣し御堂の中でまどろみ夢を見ている姿(石山寺縁起)

 

 NHKの内容の根拠は、早稲田大学教授 福家俊幸が著した『更級日記全注釈』によるものと思われます。2015年に出版された新しいものです。この本の宣伝文句に「物語作者として見直しが進む菅原孝標女の半生を再検討。夢幻的な表現世界の向こうに潜められたメッセージを読み解き、新しい孝標女像を樹立する。従来の『更級日記』研究に転換を促す、最新の注釈書」とあります。

番組が言う謎とは、「作者は自らの執筆活動を日記中に一行も記していない」ということ。番組では孝標女を物語作家としています。定家筆御物本の奥書には、「…、夜半の寝覚め、御津の浜松、みづからくゆる、あさくらなどは、この日記の人のつくられたるとぞ」とありますが、最後に「とぞ」とあるので断定できないのが一般的な見解のようですが。

 

 作者は32歳の時、御朱雀天皇と嫄子女王(中宮、藤原頼通の養女)の間の皇女、祐子内親王家に出仕します。福家教授は、藤原氏一族の娘のもとで物語を書かせることは、源氏物語以降、政治上のイニシアティブをとるための意味を持っていた。頼通が道長の先例にならい孝標女に物語を書かせようとしてスカウトしたのではないかと言う。自宅で執筆し時々出仕すればよい憧れの仕事につけたのです。翌年橘俊通と結婚、夫が下野守に任ぜらたこと、二人の姪が祐子内親王家出仕できたこと等は孝標女の働きに報いたものだといいます。また作者は、頼通の姪と親仁親王の間に男の子が生まれたら乳母になる野心を抱きます。しかし皇子が生まれないうちに御朱雀天皇が譲位、作者の夢は頓挫します。その怒りが大嘗会御禊の当日京都を離れて初瀬参りを強行したのだとも言います。

 

 放送では、作者が日記中に物語を書いたと一行も書かなかったのは、作者が愛した物語をこの世の欲望を満たすために用いたことによる反省によるのではとしていました。