まぁある種の不安であり、気がかりになることです。
自分も「書かなきゃいいのに・・・」と思いながら書いてしまうこと。
それはYahooニュースのコメント。気になったりするものがあると、どうしても書いてしまいます。
ただなんでも書くことはせず、自分の見識があるものが中心。
福祉関係や精神医療に関するニュースには色々とコメントをすることがあるのですが、他の方のコメントを見ていると不安を感じることがあります。
最近では、2年間の隔離措置と死亡事故事案のニュースがありました。
このニュースに限らず、障害者へのコメントの論調はいつも厳しく感じます。
この事件の論調も「お世話になったのに訴えるのか」や「連れて帰ればいい」など、厳しい口調がコメントに並んでおり、障がい者を支援している自分としてはなんとも居た堪れない気持ちになります。
言うのは簡単なことですが、それが自分の身に起きた時に同じことが言えるのか。
精神疾患は今や5大疾病の1つに挙げられ、誰もが罹患する可能性のある疾患です。今健康な人はたまたま罹患していないだけで、将来罹患する可能性は十分にあります。高齢者になれば認知症になる人もいると思いますし、認知症は精神疾患の1つでもあります。つまり、誰でも身体拘束をされる可能性がありますし、誰でも同じ状況になる可能性はあるのです。こう言うことだって、起きる可能性は誰でもあるんですよね。
現状を知らない人は、どこか「他人事」のように捉えているのかもしれません。
でも自分が当事者になった時に初めてわかるのでは、遅いんですよね。それだけ精神医療の現実が世間に知られていないのだと思います。
誤解のないようにしますが、決して精神医療を否定しているわけではありません。
それは以前もここで書いたと思いますが、今の在り方について議論をすべきだと感じています。状況によっては身体安全のための拘束が必要になることもあると思います。しかしそれがあまりにも長期間になることは身体拘束の要件にもなる「一時性」として適切なのかは疑問が残ります。
また先のニュースでは病院を訴えたことに対する批判が多く感じます。
ただ冷静に考えなければいけないのは、提供された精神医療と死亡事故が起きたことは別物として考える必要があるのではないかと思います。様々な医療は提供したものの、結果として死亡事故が起きたことは事実であり、適切な措置がとられていなければ損害賠償を求めるのはごく普通のことだと思います。
記事のコメントを読んでいると「精神科病院」ということに目が行きがちのようです。
ですが普通の病院でも適切な措置を取らずに死亡事故が起きれば裁判に訴えるのは当然のことではないかと思います。訴えられた時に裁判に対抗するための証拠としてカルテがあるのですから、適切な措置がとられたかどうかはカルテが判断の材料になると思います。カルテは公文書ですから、提供した医療の根拠になります。医療だけでなく福祉でも記録は重要で、もし裁判になったときに対抗できることを考えながら記録は書きます。なので、記録を残すことは非常に重要なことなのです。
コメントを読んでいると、どこか論点がごちゃごちゃになっている気もします。
その結果障害者に対する理解のなさや風当たりの強さを強く感じ、果たして日本の社会で障害者理解は本当に進むのかな・・・と不安に感じます。また近年では「施設コンフリクト」と言い、自分たちの生活圏内には障害者施設ができることに反対する動きもあります。
こういう現実がある中で、真のノーマライゼーションは進むのか、不安になります。
もちろん障害者であっても「ダメなものはダメ」であり、法に触れることは障害があっても免罪符にはなりません。一方で障害があるから・病気があるから甘んじなければいけないのかと言うと、それもまた違うような気がします。やはり相互理解がなければ話は平行線のままなのかな・・・と感じます。
※精神医療に関しては、こちらのサイトもご参照ください。




