ココログの方でも触れていますが、今日は自分が担当している利用者さんのお母さんと面接をしました。
面接としてはとても大きな成果であり、お母さんの思いも確認することができました。あわせて本人には「ちゃんとお母さんと連絡しないとな」と話すことに。本人は若干不満そうな顔をしていたけど、「お母さんが帰ってからゆっくり理由を話してあげるから」といい、三者面接は終了しました。
面接終了後、本人と昼食を取りながら「必要性」を話しました。
この利用者さんには自分のことを話したことがあるので、それを題材に話しました。
母親が「身体障害者」になったのは、もう15年も前のこと。
当時自分は大学生で、福祉の「ふ」の字も知らなかった普通の学生。でも母親が人工透析をすることになることを知り、すぐに母親が「障害者」になるということを理解しました。その後の自分は障害者としての制度を利用するための申請手続きなどを母親に代わって行うことに。母親が人工透析を受けられる体制を整えて退院するまでに、ほとんどの手続きを終えることができました。もちろんその時の自分は「障害」というものを理解していなく、「障害者になる」という意味など考えたことがありませんでした。ただ、これがきっかけで福祉の仕事に関心を持つようになりました。
それから8年が経ち、自分は福祉従事者に。
しかしこの時に、今度は自分が「障害」というのを抱えることに。ここでも何度も話している通り、自分が「パニック障害」であることが判明。実は最初の診断では「てんかんの疑い」であり、自分でも発作を起こした時の症状がてんかん発作と非常に酷似していることを理解したため、診断に対して覚悟はしていました。しかし実際に診断されると、その喪失感というのは非常に大きかったです。てんかんと診断されることによって車が運転できなくなる、お酒が飲めなくなる、そして「直接処遇」の仕事に就くことが難しくなることを突きつけられ、自分の人生すべてを奪われる気持ちでした。人前では気丈にふるまっていましたが、1人になると泣いていました。てんかんであることを受け入れるとともに、無気力状態にもなりました。
そんな自分を、母親は「てんかんじゃない」と信じていました。
てんかんの診断で必要とされる脳波には、てんかん特有の波形こそ出なかったものの、診断した医師からは「たまたま波が出なかっただけで、状況としてはてんかんを疑う」という診断でした。しかし母親は「波が出てないのに、どうしててんかんなのか」ということに疑問を持ち、インターネットでてんかんのことを調べていました。そして調べる中で「てんかん」を専門的に診る病院を探し、自分をその病院に連れて行きました。その病院こそが今の精神科で、今の主治医からは「てんかんではないだろう」と見立てられ、脳波に関してもおおむね異常がないことから診断を「パニック障害」としました。
ただ、すぐにパニック障害を受け入れられる状態ではありませんでした。
たしかに波は出なかったけど、今までの先生すべてが「てんかんの疑い」と診断しているため、本当にパニック障害であるとは受け入れられませんでした。夢の中でも自分が発作を起こし救急車で搬送され、「やっぱりてんかんだね」と診断される夢を見るくらいでした。もちろんそんな話も先生は否定し、「てんかん」ではないことを何度も説明を受けました。自分が今の診断を受け入れるまでには1・2年かかり、仕事を再会し始めて仕事に慣れ始めるころから少しずつその考えが変わり、ここ2・3年でようやく自分のことを「パニック障害」と受け入れるようになりました。
母親としては何が何でも「てんかん」ではないことを証明したく、もし自分が病院受診を拒否したら、その時は力づくでもてんかんの診断をする病院に連れて行くことを決めており、そのためなら新潟や静岡などの専門病院(てんかんセンター)に連れて行くこともいとわない覚悟をしていたとのことです。この時の状態は、自分が母親の手続きをそろえたのと全く逆の立場で、今度は自分が「障害」を持つ側の立場に立ち、母親が自分を支える役割を担っていました。
そんなことがあり、自分と母親は互いに支えっている関係です。
自分もパニック障害になったことで「障害を持つ」と言うことの意味を理解し、母親の調子が悪いときは自分が母親を支え、自分の調子が悪いときは母親が支える関係になっています。やっぱり自分の体調がいま一つでも子どもの体調や様子を気にするのは、やはり「親であること」と、親が一番の理解者なんだからと思います。
そんな話を本人にすると、本人からは「そうだったんだ」とのこと。
あわせて「貴重な話、ありがとうございます」とのお礼。このことがどれだけ彼の心に残るのかはわかりませんが、自分の経験からも「親のありがたさ」というのを実感しているからこそ、障害が違えど同じ立場を経験している者としてのアドバイスをしたわけです。
あ、そんな母親、月曜日に退院することになりました。
まだ完全ではないものの、一時期よりだいぶ落ち着いているので退院の運びになったのと同時に、大学病院へ紹介状も書いてもらうことになりました。いつ再発してもおかしくないため、ちゃんとしっかりと検査をする必要があるので当然のことであります。まぁ動けるようになって本当に良かった、というのが本音ですね。
やっぱり、どんなことがあっても親は一番の理解者であり、一番の支援者。
親の存在を大切にしたいものですね。