お風呂に入った時に、ふと自分のことを振り返ることに。
きっかけは、母親が「早くお風呂に入りなさい」と促されたこと。ちょうどその時、テレビでは「獣医ドリトル」が流れ、シーンはフェレットの手術シーン。この「手術シーン」に母親が反応をして、促しが入った状態。
まぁ自分の中では「ドラマだから・・・」と思っていても、体が反応することは十分にあるんです。これが自分の「パニック」の引き金です。
自分の診断名、今は普通に「不安障害」ですが、厳密な診断名となれば「恐怖症性不安障害」となるでしょう。最初の自立支援医療を申請するときの診断名はこれで、更新申請の時から今の「不安障害」だけになったので・・・まぁどっちにしても「不安障害」であることには変わりません。
自分の今までの経緯(てんかんの診断→パニック障害の診断)についてはココログに書いています。とはいえ今から5年前のことなので、だいぶ遡らないと読めませんが、ただいづれにしても自分がそういったことでの診断を受けるというのは思ってもいなかったことで、今でこそ落ち着いてきている部分がありますが、まさか自分が「パニック障害」であるなんて、本当に夢にも思いませんでした。その部分は今でも信じがたい部分がちょっとだけありますが、でも現実としてパニックが起きる、あるいは起きる可能性を強く持っている以上は、やっぱり自分はパニック障害なんですよね。
だから他の人にはなかなか理解されにくい部分もあります。
例えば今回書くことのきっかけになった「手術シーン」、普通の人はそれを見ても何もないけど、自分の場合は「解剖的」という理由で自分の中で整理ができなくなり、またそのことを受け付けない状態となり、最悪の場合は大発作(意識を失う)ということになる。この一連の流れが、きっと普通の人には理解できない部分であると思います。
また何か別のことをやっているときに、ふと頭の中に「解剖的」な要素がよぎると一気に不安が増幅され、やっぱり最悪の場合は大発作になります。だからこの仕事をしているといつ大発作が起きても決して不思議ではないのですが、今は単純に服薬がうまく整っているのと心のバランスがとれているからこそ、5年以上も大発作に至っていないだけなのです。もっと掘り下げていうのであれば、大発作こそ起きてはいないものの、発作はある意味日常茶飯事に起きており、それが生活をするうえで支障となるような発作は少なくなってきている、と言ったほうがより具体的かもしれません。
別にアメブロでこんなことを書く必要はないのですが、ルームにパニックのことを書いている以上は多少は触れてもいいのかな・・・という思いと、最後の「31歳」を振り返るのもたまにはいいかな・・・と思い、ちょっと内容的には重いものになってしまいましたが、あえて触れることにしました。
「障害」とのお付き合いは、明日からもまだまだ続きます。