NHKラジオ第1放送について思う。 | リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ

リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ

テレビの低級化に抗し、マジで音楽を憂い、予言蔓延する世に悩み、
焦り多き家庭に困り、後悔伴う仕事に苦しみ、レーザー的に精密な
日本語の駆使に迷う中年男の見込み違いとニガリきった日々のアレコレ。

最近、夜中はNHKラジオ第1放送を聴くことが多く、

まあ、ニュースが1時間おきに流れるから便利だ、というのが

理由の大半なのだけれども、

そのあいだに流れる番組も、つまらないなりに、耳をふさぎたくなる

ほどでもないから、よほど苛立ちを覚えないかぎりは

チャンネルを変えずに、我慢して、

聴き流しているわけだが、

ときどき、アナウンサーの声が、いかにも高齢の男女という感じで、

声フェチの俺にとって、かなりつらいものがあり、

つまり、口の奥のペチャペチャした唾の粘りつく感じをともなう発声が、

耳障りになることがある。

それはいいのだが、

(本当はよくないが・・・)

トーク番組のゲストに、え?誰なの?という人々を

平気で引っ張り出してくることが

NHKの特徴で、

それどころか、ど素人の海外レポーターに長話をさせる

機会も多く、

低コストだよなあ、これなら、と感じながら聴いていると、

ネット電話で中継しているんだかどうだか知らないが、経費節減も

ほどほどにしろよ!といいたい音質の悪さ、あのプツプツ切れる、

安い電話回線特有の不鮮明な音が、そのままラジオで

だらだら流されるのには、参る。

それで、俺のとりわけ嫌いなのは、トークのテーマで、

NHKが、頻繁に、「食」を俎上にとりあげるから、うんざりなのだ。

あたりさわりのない、

それでいて、地方色のある、

万人向けの、身近なテーマ、

あーうんざりだ。

退屈だ。

NHKにしてみりゃ「食」をテーマに時間稼ぎすれば、どこにも角が立たないという

思惑なのだろうけれども俺に言わせれば、人間の原始的欲求を、

ダイレクトに刺激する「食」のテーマは、じっさいには

下品きわまりない。

何かにつけ、「腹が減った」と思いたくないし、思わされたくもないのだ。


そもそも、動物的にみれば、食欲も性欲も同レベルのものであり、

他局、たとえばニッポン放送などで、延々幅を利かせる猥談・シモネタと、

どこか下品な点では大差がないのである。

むしろ、当たり外れのあるシモネタ(それは知的なものでもある)よりも、

かなりの高確率で生理的欲求を刺激する

「食」の話題には、有害さ、維持の悪さが潜んでいる。

それを、あっけらかんと持ちだしては、はしゃいでみせるNHKの姿勢は、

じつは、原始的で低俗だと思うのである。

いや、こうして不満を述べてみても、どうせ変わらないだろうし、

それならそれでいいのだが、

(本当はよくない・・・)

昨夜は、松浦寿輝がゲストに平野啓一郎をまねいて、

文学と音楽の交錯する場所を探るという知的な番組を流していたりもしたから、

こういうときには、満足と期待をおぼえつつ、

神妙な気持ちになり、

聴くのだ。

じっさい、短いながらも、それなりに聴きごたえはあった。

私自身にとっては、この2人とも、好き嫌いでいえば、

やや嫌いな作家たちである。

しかも、選曲がジャズとクラシックに傾きすぎていたので、いやはや、参った。

俺はジャズが嫌いなのだ。

「ジャズ=趣味がいい」の社会通念があるのか・・・・・・いや、違うだろ。

ジャズおきまりの定型が、うんざりなのだ。

あのベースの退屈な、ぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼん・・・(ダルい)

ドラムがほとんど装飾でしかないという、音作り(ショボい)

なんだろう、あれは。

マイケル・ブレッカーは、テクニシャン過ぎて心がないような音だけど、すごくいい

とか、セロニアス・モンクが、どっちかといえばヘタクソだけど、メロディで

説得力を持っている、とか、

フランク・シナトラは、別にめちゃくちゃ歌がうまいわけじゃない、とか、

レガート的な作家・松浦が、逆に、個々の音符の独立した存在感をもつ演奏に惹かれ、

平野がメロウな音楽を好むとかいった、対話の流れは、

それなりに楽しめたが、

全編にスノッブ的なものが立ち込めて、

お前ら、ヒップホップの1曲もかけないのか、と、

なんだかやけに視野の狭い連中だな、この2人は、

とシビアな感想を抱いたのも事実である。

ただし、右手のヒト、ショパンを否定・拒絶した

両手のヒト、グレン・グールドの、唯一のショパン演奏を

初めて耳にできたのは、意外性があって、よかった。