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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

G.クルーニー曰く、「続編はない」。これがラストのドリームチーム。


これだけのビッグ・ネームが集まって話題を呼んだ「オーシャンズ」も3作目。そもそも「11」もリメイクなわけだけど、さすがに大きな花火はそう何発も続かないのかなと思う。
舞台はラスベガスに戻って、今回は敵キャラのホテル王・バンクにアル・パチーノ。仲間のルーベンが受けた裏切りのリベンジを果たすため、かつての敵キャラ、ベネディクト(アンディ・ガルシア)にも協力を要請することになる。


単純に言えば、一致団結してお金を盗む話。しかし、ヒトクセもフタクセもある面々が集まる中、犯罪者と言えど彼らプロはプロなりの仁義の通し方があるんですよね。そして、綿密な準備、的確な役割分担、人材育成、物事の決め方、当日のアクシデントに対応する柔軟さ、そしてトップに立つ人間の器・・・。組織で動くには不可欠ないろんな要素を満たしてるからいい。つまり、ひとつの会社でも、こういうことって凄く大切で。


今回はカジノでお金が乱れ飛ぶのもあって派手ですね。でも、女性キャラがエレン・バーキンだけではちょっと物足りない感じ。デキる女性ってのは私は大好きですけれども。


個人的に面白かったのは、海外労働者の低賃金に対するストのシーンかな。がんばれ!と応援してました。


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生きていることを、済まないと思わなければいけない現実がある。


物語は2部構成。広島に落とされた原爆について、戦後10年と現在の物語をクロスさせながら進んでゆく。


夕凪の街。麻生久美子演じる女性、平野皆実。彼女はいつも長袖を着ている。原爆で負ったやけどの痕があるからだ。好きな人にも素直になれない。結婚なんてできないと思ってる。長く生きられないことを知っているから。自分たちは、「死ねばいいと思われた人間」で、生きることを望まれない。何より、生き残った人間の、死んだ人間に対する引け目。「生きていて良いのだろうか」、そう思いながら生きることの残酷さ。・・・それは、きっと彼女だけじゃなかったはずなのだ。


桜の国。時は現代へ。田中麗奈演じる七波は、皆実の弟の娘。広島へ思いを馳せる父、原爆症で亡くなった母。そして原爆被害者の子であるがゆえに恋人の両親から拒まれた弟。子どもや夫に先立たれた祖母。思ってもみなかったことに戸惑いつつも、今の自分があることは確かに過去からのつながりであることを理解する。「髪飾り」が象徴的だ。


普通に生きていくことが奪われた悲しみは、戦後何年経とうとも、私たちが「続く」限り、なくなりはしない。


「原爆は落ちたんじゃない。落とされたのだ。」
生きていることを喜べない人間たち。きっと、原爆を落としたほうも落とされたほうも。
もうやめよう、こんなことは。


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夕凪の街桜の国/こうの 史代
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デヴィッド・リンチ監督の「内なる帝国」、降臨。


女優ニッキー(ローラ・ダーン)は、ポーランド映画「47」のリメイク「暗い明日の空の上で」の主演スーザン役で再起を目指そうとしていた。しかし、共演するビリー役のデヴォン(ジャスティン・セロー)と実生活においても不倫関係を持ち、徐々に劇中の役と自分自身の境目がつかなくなってしまう。


印象は・・・とにかく3時間、監督のアタマの中をバラバラに見せられた感じ。まず時間軸が分からない。昨日は明日であり、時刻は9時45分から先には進まない。シチュエーションがランダムに切り貼りされ、様々な物語が展開してゆく。冒頭の訪問者である老婆の予言がずっと頭から離れない。それは出口のない迷路に迷い込んだ悪夢。ウサギ人間、部屋のテレビで映画を見る女、催眠術をかけられた女、ホームレスの女、いきなり踊りだす女たち。劇中劇と現実と空想の区別がつかず、どちらが何に属しているのかも分からない。


特に時間軸のずらしは人間を極度の不安に陥れる。昨日起こったことは実は明日だった・・・劇中、迷い込んだ建物でスーザンが見たものは、スタジオで打ち合わせを行うニッキーだった。過去の自分を垣間見ると言うことは、決して気持ちのいいものではない。私が一番怖かったのはここかなあ。


前作「マルホランド・ドライブ」は議論の余地があるけど、これはちょっと議論のしようがないと言うか。リンチワールド、堪能するか困惑するか。たとえ退屈でも私たち見る人間は文句言えないんだよね。だって、インランド・エンパイア、だから。


そういえばホームレス役で裕木奈江が出てた。あのタレ目と舌足らずな英語のせいか、凄く幼く見えたなあ。

私はタレ目が好きです。


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ガエル・ガルシア・ベルナル「人生で最も刺激を受けた1本」―


1961年、キューバの首都ハバナ。フィデル・カストロによる社会主義宣言の後、国外脱出するキューバ人も少なくなかった。しかし、セルヒオ・38歳(セルヒオ・コリエリ)は妻や両親がアメリカに旅立っても自分はキューバに残ることを選んだ。資産を持つ彼は働かずとも生きていけたのだ。そんな中、セルヒオは美しい少女エレーナ(デイジー・グラナドス)に心奪われるが・・・トマス・グティエレス・アレア監督作。


モノクロのフィルムに映し出されるキューバは、まさに革命からキューバ危機へと向かう混沌の中にあった。バティスタ政権下、資本主義の名の下に甘い汁を吸い、欧米化した生活をしていた資産家たちにとって、社会主義の波は如何ともしがたかった。セルヒオは、刻々と変わる社会を、キューバの人々を、冷静に観察していた。「低開発」の人々・・・セルヒオにとって彼らはそう映った。


特に、キューバの女性は、若いときは魅力的で情熱的だが、30歳を過ぎたあたりから身体の線が崩れ、醜くなっていくと語る。確かに若い女性はぞっとするほどキレイだ。大きくて長い睫毛を持った情熱的な視線は男を虜にする。エレーナもそうだ。しかし、彼女の移り気の早さ、情緒不安定な精神は、まさしくキューバの不安定な環境に深く影響を受けているとセルヒオは考える。いつしかセルヒオはエレーナから離れてゆく。いつしか嫌気が差したのだ。・・・一方、自分は、実がなる前に腐ってしまった熟しすぎた果実のように衰えていると感じていた。38歳なのに、自分自身は枯渇し老成していると。


セルヒオを見ていると、働く頭と身体はあるのに働く必要がないため、退屈で身をもてあましているように見える。自分の国のことでありながら、バカンスで訪れた外国人のように一歩引いて世の中を見ている・・・それはやはり「若さ」からはかけ離れている。諦めに似た溜息をつきながら、こうじゃないのにと思いながら鬱々と惰性で人生を生きる、覇気のない男だ。しかしこれはまさに、現代日本だって当てはまることではないか?


当時のキューバと言う国は、若さか老いか、そのどちらかしかなかったのかもしれない。劇中、キューバはいわゆる「キューバ危機」に直面し、「革命か死か」を迫られる。緊迫した状況下、徐々に「老い」であった資本主義は追い詰められ、死に至ろうとしていた。まさに動乱の世なのだ。・・・その中で埋没してゆくセルヒオ。


人間は時と場所を選べないで生まれてくる。その時代、その国に生まれた不思議を感じる映画だ。


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