no movie no life -16ページ目

no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

人生にもスウィーツが必要。


ロスでスウィーツショップを営むダフネ(ダイアン・キートン)には女で一人で育てた3人の娘がいる。ダフネの心配事は末娘ミリー(マンディ・ムーア)が結婚しそうにないこと。いつも恋愛に失敗するのミリーの代わりに、お節介ながらダフネはミリーの恋人探しをする。その結果、自分好みの高学歴高収入のハンサムを見つけるが・・・


原題「Becouse I Said So」。ダフネの口癖だ。「わたしが言うからよ!」それは自分が正しいと言う自信がないと言えない。ビリー・ワイルダーの映画が好きで好みの役者はゲーリー・クーパー。(飼い犬もクーパー。)60歳にもなり、自分なりの信念やライフスタイルを崩さない頑固モノ。自分の幸せよりも娘たちが幸せになることを願ってる。娘たちにとっては、ときにそれがお節介なのを知ってる。でも、「子どもへの愛情をどこで打ち止めにすればいいの?もう大人だからって、みすみす娘が崖から落ちるのを黙って見てるわけにはいかないわ。」と叫ぶ。


ダフネはミリーを自分のようにはしたくないと思っていたのだ。夫に先立たれ、その後は必死で働き、気がつけば自分は孤独。でも、娘たちが幸せならそれでいい。しかしそれを押し付けられた方はたまらない。いつも正しい道を歩むことが幸せとは限らない。ひとりでさみしいけれど、正しいからいいというのではなく、誰かと一緒に歩んだ結果が間違っていたとしても、そっちの方がいいじゃないか?そして幸せになるのに、「もう遅い」なんてことはないのだ。


ダイアン・キートンがキュートで可愛い。一年前に「幸せのポートレート」を観たがそれよりも若々しくておしゃれ。そして、娘たちとの関係が楽しい。一緒に買い物したりパーティーしたり。・・・やっぱり母娘っていいな。いくつになっても女の子は楽しい。いくつになっても恋愛したい。


自分が幸せになることに臆病でいてはいけないと言う、前向きな人生讃歌だ。


ブログランキング に参加しています 


death


これだから映画は止められない。


このたび、タランティーノとロドリゲスがタッグを組んだ「グラインドハウス」の2作品。話題になっているので、遅ればせながら「デス・プルーフ」を10月1日の映画の日に観てきました。ポスターのお土産つき。(上)


タランティーノ監督いわく、「グラインドハウス・ムービー」とは観客が何を目にするか分からない映画のこと。ポップでキッチュ、それでいて生々しくて、最高にものすごくてセクシャルでワイルド。」
ロドリゲス監督いわく「予算がないからスターは出ない。だから観客を刺激するような内容で利益を上げる。B級だけどセンセーショナルじゃなきゃいけない。」


いやーーー、最高です、これ。徹底してB級に作ってるんだけど、そこがミリョクなんです。デス・プルーフはタランティーノ監督作品ですが、魅せてくれますね。「デス・プルーフ」=「耐死仕様」でスタント用の「死なないクルマ」が巻き起こすカー・アクション。それは残虐とか言う言葉を越えた生々しさで、見るものに訴えてくる。そして意外と効いてるのがガールズ・トーク。ここに出てくる女の子たちはそのへんの男よりもカッコイイ。ワイルドでセクシャルで血なまぐさくて。そういう「刺激的なもの」をたくさんぶち込んで、うまーく作られてる。


確かに、最近はこういう映画ってなかったよね。今の作品って、上品だし、考えさせながら観せる内容が多いし。アクションものでもCGが使われててきれいに仕上がってる。だからこそ、こういうのが新鮮なんだろうな。


「プラネット・テラー」はまだ観てませんが楽しみ。B級を求める面白さって、やっぱり人間のなかにはあるんだなあ。


ブログランキング に参加しています 

女に残されたもの。哀しくも強い母性。


ウクライナ出身のイレーネは、イタリアのある町で裕福なアダケル一家を監視していた。ついに家政婦として働くことに成功したイレーネの目的は何なのか?時折垣間見える彼女の過去とは・・・?監督は「ニューシネマパラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督、音楽は巨匠モリコーネ。


結末は言わないで―久々にこんな注意書きを映画冒頭で観た。
親子ものかな?と言う認識程度で観に行ったのだが、最初のシーンからグイグイと引き込まれる。スリリングな展開に挿入される音楽はヒッチコックの映画のように観るものの緊張を誘う。


イレーネの鬼気迫る行動は、恐怖だ。手段をいとわない行動に時折挿入される忌まわしい過去のフラッシュバック。特にアダケル家の幼い娘テアに対する関わり方は異常とも見えた。愛情なのか虐待なのか。
しかし、それを受けるテアがまた強いし、ある意味怖い。小さくても大人と駆け引きする術を持ち合わせている。彼女のかわいらしいカーリーヘアはホントの魔女のように見える。


「私のようなものにも未来があると思っていた。でも、違った。」
異国の地で未来を奪われたイレーネにとって、唯一残された希望、生きる目的があった。それすら取り上げようとする神は無情だと思いたくなる。でもね。女性だからこそなんだよね。哀しくて強い「さが」があるから、イレーネは生きていられたんじゃないかな。男性だったら耐えられないかもしれない。


上級のサスペンスであり、人間の情念の物語でもあるこの作品は、どちらの要素をも融合し、うまく着地していると思う。


※わからなかったのは、ジーナは何に署名していたのだろうということ。彼女の存在がその後大きく影響するかと思ったんだけど・・・



ブログランキング に参加しています 

07日(金)「包帯クラブ」★試写 東映映写室(有楽町)
08日(土)「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」ユナイテッドシネマ豊洲
08日(土)「私のちいさなピアニスト」シネカノン有楽町
26日(水)「ヘアスプレー」★試写 よみうりホール(有楽町)
27日(木)「ミルコのひかり」シネアミューズ(渋谷)
27日(木)「TOKKO 特攻」シネアミューズ(渋谷)
28日(金)「恋とスフレと娘とわたし」シネスイッチ銀座
28日(金)「題名のない子守唄」シネスイッチ銀座
29日(土)「パーフェクト・ストレンジャー」池袋東急
30日(日)「キャンディ」シネアミューズ(渋谷)
30日(日)「バーバー吉野」ユーロスペース(渋谷)


印象に残った作品
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」「私のちいさなピアニスト」

「TOKKO 特攻」「バーバー吉野」

実写とCGアニメの見事な融合。


アーサー(フレディ・ハイモア)は借金取りから自分の家を守るために、冒険家の祖父が残した宝を探そうとする。見つけ出した地図によれば、それは体長2㎜のミニモイ族の国にあると言う。タイムリミットは36時間、アーサーは自ら小さくなってミニモイ国に入ってゆく・・・リュック・ベッソン監督。


この夏、「ベクシル」を観たときに、アニメと言うのは人間に似せればいいというものではないなあと実感した。ホンモノの人間のようでそうでないという中途半端さが気持ち悪いのである。むしろ思い切りアニメアニメしてる方が安心する。


そんなことから、見るまではちょっと不安だった。でも、実写とアニメの境目がうまくつなぎ合わされてて、スムーズだった。現実の世界も御伽噺のように美しい。ストーリーも、最後までメルへンチックで好感が持てる。


また、フレディ・ハイモアがかわいくてイキイキしている。彼は「チャーリーとチョコレート工場」のティム・バートン監督、「プロヴァンスの贈りもの」のリドリー・スコット監督、そしてこのたびのベッソン監督と、著名監督の作品に起用されているが、その意味も分かる気がする。「ネバーランド」でジョニー・デップが見出しただけのことはある。今後に注目。


「もう作品は作らない」と監督がコメントしているのを聞くが、いつも新しい何かを見せてくれるという意味では楽しい作品群。常にチャレンジャーであり続けるのは並大抵のパワーがないとできないことだ。


しかし、8月上旬のGTFトーキョーシネマショーで観たので選択の余地なく吹き替え版だったのだが、「声優」タカアンドトシのネタが思い切り出てきていた。いいのか?今しか通じないような気も・・・


ブログランキング に参加しています