不自由になることの幸せ。
レストランの料理長・ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は完璧主義で仕事の鬼。ところが姪のゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)を引き取ることになり、扱いに困ってしまう。さらにレストランには新しいシェフ・ニック(アーロン・エッカート)がやってきてケイトの調子は狂いまくり・・・ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」のハリウッド・リメイク。
大人になる、自活すると言うことは、自由を得ることでもある。
学校や親の庇護から離れれば、どこでどんな風に生きるかは個人で選ぶことが出来る。仕事はイヤになったら辞めることもできる。キライな人とは付き合わない。キライなものは食べない。お気に入りの環境に身をおける。
ただ、予想外のことや自分の思い通りにならないものができれば「不自由」になる。例えば、肉親。ケイトの場合も、姪のゾーイを引き取らなくてはならなくなったとき、「完璧な」生活スタイルは崩れる。ケイトは焦り、苛立ってしまう。
最近、「エディット・ピアフ」や「ミス・ポター」など実在の女性の生き様を描いた映画を続けて観ている。この作品も、一見、仕事一筋の女性が愛によって変化していくという王道のストーリーに見えるが、働く女性の生き方やプライドを考えると興味深い。
ケイトが頑なになるのはそこに至るまでの苦労を思えばこそなのだ。戦場のような厨房を取り仕切り、客のクレームにキレ、家に帰れば子どもに頭を悩ませる。そこに陽気でオペラを歌うイタリア料理人・ニックが現れ、いともカンタンに(ケイトには見える)料理長の座を脅かそうとするので防衛本能が働くのは当然と言えば当然のような気もする。
しかし、料理人の心を溶かしたのは「料理」だった。料理の楽しさ。味わうこと、味わってもらうことの喜び。それらを通して、ケイトは、ゾーイもニックもそれなりの苦労や悲しみを抱え、努力していることに気づく。それを見せるかどうか、どう行動するかは人それぞれなのだ。
誰かと生きてゆくということは、実は自分の思いとおりにならない人生を歩むことだ。他人に影響を与え、もしくは与えられてゆく。それを不自由と思うか幸せと思うかで、人生は違ったものに見えるのではないか?主人公は自分だけれど、誰が副主任(スー)になるかも案外大事。
まあ、これはフィクションということもあって、「エディット・ピアフ」や「ミス・ポター」と比べれば弱い。料理があんまりおいしそうに見えないんだよねー。ケイトやゾーイが変わって行くのもちょっと急ぎすぎ。
アーロン・エッカートは「サンキュー・スモーキング」で好きになった役者だが、甘さ加減とゆるさ加減が絶妙。ゾーイ役のアビゲイルも「可愛すぎない可愛らしさ」が好感持てる。キャサリン・ゼタ=ジョーンズはほとんどシックなパンツスタイルで髪をまとめ、本来のゴージャスな色気を極力抑えている。けど・・・私は「シカゴ」のキャサリンがカッコよくて好きだな。女性の魅力をフルに発揮してのし上がる強い女っていうのもステキ。
→ブログランキング
に参加しています