先日、友人から「26歳計画」という本を貰いました。【椋本湧也「26歳計画」(2021)シナノ書籍印刷:椋本湧也『26歳計画』【4刷】 | STANDARD BOOKSTORE (thebase.in)】
この本は世界各地で暮らす26歳のエッセイ集です。
「26歳をタイトルにした自由な文章を書いてください。」というルールのもと、いろんなバックグラウンドを持った様々な職種の人達の言葉が48編綴られています。
ということで今年2024年に26歳になる私も、「26歳」をタイトルに文章を書いてみることにしました。
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「26歳」
26歳、社会人4年目。
大学を卒業してからあっという間に4年目になった、という人を周りには多く見かけるけど体感的には妥当だと思っています。
それなりに良いことも悪いこともあったし、自分や周りの環境の変化も、まあ妥当。
させてもらった多くの経験が4年という月日に見合うものだったと思うし、もちろんもっと濃いものに、、、という気もしないではないけど、その時の俺にはあれらが必要でありいっぱいいっぱいでもあったとも思います。
この本の趣旨を腐すような物言いになってしまうかもしれないけど、26歳に何かを節目を感じられるかって聞かれても正直あんまりピンとこないです(笑)
多分、何歳であってもそれは変わらない気はします。
もちろん要所要所でイベントがあって、生活が一気に変化することはこれからも多くあるだろうけど、それは年齢によってもたらされるというよりは巡り合わせによって起こるものだろうと考えています。
年齢というものの存在は自分の中ではあんまり大きくないもののように思います。
ただ、この感覚は少し幼い気もしています。
サッカー選手という仕事を見れば年齢という要素は市場価値にそれなりの影響を及ぼしますし、結婚とかキャリア形成とかを考えると年齢という軸は中心に据えられていると言っても過言ではないと思います。
(25,6歳で転職や結婚というイベントを迎える友人の多さたるや。特に結婚する人めっちゃ多い。)
年齢というものの存在を重要視しない感覚はやや危険というか無責任というか。そんな気がしないでもないです。
しかし、まあ難しい。
もうちょい年齢を意識した振る舞いを、と言われると耳を塞ぎたくなる。
いや、本当、良くないこともわかっているつもりではあるのですが、、、。
(まあこんな感覚もまだ26歳として妥当な感覚の範疇なんじゃないのか、とも思いますが。)
もし似たような葛藤がある同世代がいたら安心してほしい。あなたは独りじゃない(笑)
とりあえず、26歳、妥当。
素晴らしい人に恵まれて、素晴らしい時間を過ごしている。
考えなきゃいけないこともあるけれど、先のことはその時になってから。(でいいですよね。)
母さん父さんありがとう。26歳、なんの節目でもないけど、いつだってありがとう。