最近、

・伊東潤「茶聖」(2020)幻冬舎

・伊東潤「国を蹴った男」(2015)講談社

と立て続けに歴史小説を読みました。

 

歴史小説は史実をベースに描かれる作品です。

数百年も前の話ではありますが、描かれる物語が自分が感じる時間の流れの源流にあった出来事だと思うと、ある種のリアリティが出てきて、いろんなことを考えさせられました。

 

 

「茶聖」も「国を蹴った男」も、舞台は戦国時代の話です。

群雄割拠、生き馬の目を抜く展開や思惑が各所で繰り広げられます。

 

最終的には徳川家康が天下泰平を実現し、200年以上続く江戸幕府を開いていくわけですが、そこに至るまでも織田、豊臣の覇道がありました。

そしてその天下人と言われる3人以外にも多くの人達がそれぞれの戦いを経て歴史が作られていきました。

 

 

 

こうした歴史小説を読んで一番最初に思ったのは、結局死ぬな、ってことでした。

 

織田信長はものすごい勢いで勢力拡大していましたが、家臣である明智光秀に裏切られる形で散りましたし、その明智光秀の最期は落ち武者狩りを行う百姓に殺される形でした。

豊臣秀吉も死因こそ病死ではありますが、天下人となった晩年は欲が強く横暴であったと描かれています。そして死後、部下であった家康が戦を仕掛け、大阪の陣(夏の陣)で豊臣家は滅亡してしまいました。

 

他の武将たちも、それこそ付き従う主の立場が変われば一気に凋落したりと、まさに盛者必衰の趨勢が物語から感じられました。

 

 

なんかこう自分も負けず嫌いだし、欲も深くて、それこそサッカー選手もそれなりに生き馬の目を抜く生き方ではあると思うんですけど、盛者必衰の中で、自分がどういう在り方と散り様を標榜するか、っていう問いはすごく感じました。

 

 

 

また、その”在り方”の話と関連するんですけど、作中では色んな人物が色んな生き方をしています。

 

義理を通して切腹をする人、敵に寝返って生き長らえる人、戦を強行して討ち死にする人、石高は増えるけど領地が変わるために引っ越しを余儀なくされる人。

 

この様々な生き方に是非・善悪の判断はできません。

これに正解はないと思います。

 

山上宗二は最期残酷な仕打ちを受けて命を落としました。

けど、彼にとってはその筋を通した生き方は生き長らえるよりも大事だったのかもしれません。

今川氏真は戦国大名としては家を没落させた暗愚と扱われるかもしれませんが、戦国時代を生き残り、家名を残し、77歳まで往生しました。それが当人にとっては幸せだったのかもしれません。

 

 

どのような生き方が是であり善なのか、この問いに正解はありません。

だからこそ自分で正解を設定していくことが大事なのかなと思います。

 

そしてそれは、他人にどうこう言われるようなものでもないし、他人にどうこう言われてコロコロ変えるようなものでもないな、とも思います。

 

歴史に名を残すか、極大な功績を残せるか、は運の要素があると、歴史の物語を読むと強く感じます。

 

 

自分だけの野望を持って、自分が掲げた生き方を実践する。 

(要は夢を持って自分なりに一生懸命取り組む。)

 

 それが大事だな~なんて、歴史小説を読んで思いました。 

 

 

「茶聖」は長編、「国を蹴った男」は短編集、どちらもとっても面白いので皆様ぜひ読んでみてください。

「人生は思い通りにいかない。」という前提は忘れちゃいけないなと思います。


人生は思い通りにいきません。思い通りに行くなら、私は既に酒池肉林を作っています。流石にそれは嘘ですが、もう少し悩まない生活をしていると思います。

(まあ悩まない人生はないと思いますが、それでも、です。)


「人生は思い通りいかない」わけですが、しかしこれは悲観的な話に繋がる前提ではありません。

「人生は思い通りいかない。」だからこそ、夢が夢として尊さを持ちますし、その挑戦に面白さがあります。

また、だからこそ、夢への過程で上手くいかないことがあっても、”人生は思い通りいかない”よねって、だからまた頑張ろうねって、未来に目を向け直すきっかけにすることが出来ると思います。



俺は一時期この前提を忘れて過ごしていました。この前提を忘れていたが故に、さまざまな出来事にショックを受けて、自分を否定して、夢を諦めていた時期があります。

けど、夢のない時間は人生にハリがありません。楽しくないです。

こんなことはほかの人には経験してほしくないなって思います。

だから改めて、今回こんな話を書いています。

 

 

それでもやっぱり、感情的には難しいですよね。
可能な限り短い時間で目標を達成したいし、上手くいかなきゃショックです。

そして、何より影響を受けるのは、近くで自分より上手くいっている(ように思える)人達が目に入った時です。

「”人生は思い通りにいかない”はずなのに、なんであいつは思い通りにいってるんだよ!!」って思っちゃいます。

そして、そういう上手くいってるやつが、「人生チョロいわ。」なんて言おうもんなら、それこそ自分を疑い始めてしまいます。


あくまでも私見ですが、一見正反対に見えるその意見も単なる解釈の問題だと思っています。

「チョロい」という人は、その上手くいかない人生の構造の中で、どうにか進む術を見出した人の意見な気がします。

そしてその、”上手くいく術”というのは環境や状況の影響を多分に受けるものであって、個別性があることです。

その人のやり方を完璧にトレースしたとしても、それが自分にとっての「思い通り」になるかは別の話だと思います。

前提は「人生は上手くいかない。」で良いと思います。



しかし、それでもやっぱり感情の問題が出てきちゃう!

頭でわかっていても心が追い付かない!

というのはありますよね(笑)

 

こうした問題に対して、具体的な解決策はいくつかあると思います。良い友達やメンターを持つとか、センスオブコヒーレンス(Sence of Coherence :首尾一貫感覚)を養うとかがあります。

個人的に今取り組んでいるのは外的焦点を置いて、注意を他所に向けないようにすることです。

まあ具体的な話はまたいつかしたいなとは思います。



今回のブログで言いたいのは、冒頭申し上げた通り、「人生は上手くいかない。」という前提を忘れないようにしようぜってことと、だからこそ粘り強く夢追ってこうぜってことです。

SNS全盛の時代にスカしたくなる気持ちも出てくるんですけど、みんなで助け合いながら頑張ってこうぜって思います。

漫画の主人公みたいなマインドでたくさんの人が生きれたら、それは楽しい社会になるんじゃないかなって思います。

目指せ海賊王!目指せ火影!目指せ人生のフルコース!

今年はデータを自分で取るようにするよ。

練習や試合の映像を見て、セーブ数とかパスの成功率とか記録するんだ。

公式戦だとそういうのはそういう機関がやってくれるけど、公式戦の記録だけじゃ自分を測るにはサンプルが足りないから。

練習試合とかも含めて今年はデータを取って、自分なりにKPI設定して、他人の影響を受けない部分を一つの指標にして、成長を志向したいと思う。

今年は再びコーチングを受けるよ。

以前とはコーチを変えるけど、1年間というスパンでの契約。長期的な連携の中で自分の考え方やマインドをアップデートしたい。

メンタルを強くしたいし、豊かに生きたい。

早速マントラチャートも作ってみたよ。

またコーチと相談しながら、先入観から脱却していきたいと思う。

今年はローテーターカフにもアプローチしてみるよ。

もともとインピンジメント気味ではあったし、ケガをしないという点でもアプローチは必要だった。

また、新たなキーパーコーチのもとで従来の動きから変化を施している中で、内旋・回内気味の自分のスタートポジションはディスアドバンテージになっている気がする。

パフォーマンスを上げるためにも、今年はローテーターカフもトレーニングしていこうと思う。

 

勝ちたい。

ずっとそう思ってる。

勝てる、とも思ってる。

自信あるし、それだけの日々を過ごしてきたと思ってる。

 

それでも勝ててなかった今までがあって、いつも試行錯誤してる。

魔法は無くて、できることを一つ一つやっていこうと思う。

それでも求めるものが手に入るかはわからない。

信頼できる仲間と相談しながら、頑張っていきたいと思う。



今色々書いてきたけど、何が言いたいかって不安だってこと。

不安。ずっと不安。

何かが出来るようになったって、また新たな不安が湧いてくる。

練習で良い手ごたえを感じていても、試合じゃそれを表現できてる気がしない。

結局評価するのは周囲の人達だから、自分が考えても仕方ないのに、自分を強く見せたくて必死。

そして、弱く見られたくなくて必死。

 

不安が色んなことを認めさせない。

(そうならないためにデータとKPIという部分を大切にして、他者比較ではなく過去の自分比較の状況を作ろうとしているのに。)

 

別に、不安だからデータをとったりコーチを付けたりしたわけじゃない。

目標として自分の理想の姿があって、それを追い求めていきたいっていう想いのもとに選択してることであって、そこにはある種の達成感や挑戦に高揚している部分もある。

夢を追うという部分のポジティブさは間違いなくある。

ただ、それとは別軸で常に不安が付きまとってる。

今はまだ短期目標の途中でもある。

そもそも何かが明らかになっているタイミングじゃない。

不安になったってしょうがない。

し、短期目標を達成したって多分次の不安が湧いてくるように思う。

なにしてたって不安。

 

結局のところ死ぬまで不安とは伴走するんだと思う。

だから不安とは穏やかな気持ちで付き合っていたい。

けど今はまだそれが難しい。

明日にはケロっとしているかもしれないけど、今は少し苛まれていることをここに書き記しておきたいと思う。

 

~~

 

最後に伝えたいのは、ここにも不安な人間いるよってことです。

人前にでる仕事をする以上、それなりに明るく振舞うし、キャラクター的にも快活な印象を抱かれがちですけど、俺もまた不安を抱えた人間の一人です。

 

もし何かに不安を感じてたり、不安を感じていることを良くないことと思ってたりする人がいるのなら、そんなことないよって言いたいです。

(まあ、何かを明確に為し得た人間ではないので、同じにしてほしくないという人もいるかもしれませんが笑)


素直に生きて、時に自分をプッシュして。

頑張っていきましょう。

スポーツにおいて、「パフォーマンスピラミッド」という考え方があります。

 

これは、より良い競技パフォーマンスを発揮する上で、各パフォーマンス要素をピラミッド型の階層構造にしてトレーニングの重要度を示したものになります。

 

最下層(土台となる階層)にムーブメント(基本動作:姿勢や可動性、安定性など)が位置し、

中段にパフォーマンス(筋量や筋出力)があり、

最後(頂点)にスキル(競技活動に必要な技術:サッカーならばパスやシュートなど)が置かれています。

 

下層の方が重要で、上層にいくほど専門性が高まっていきます。

 

 

このパフォーマンスピラミッドを参考に、自分はフィジカル強化におけるピラミッドを一つの指針として独自に設定しています。

 

食事をコントロールしたり、筋トレをするのも、このオリジナルフィジカルピラミッドに基づいて行っていますし、トレーニングの方法や優先順位、コンディショニングのあれこれに関する判断も、このピラミッドに基づいて行っています。

 

より良いパフォーマンスを発揮するために鍛えるべき心技体。

そのうちの“体“の部分の強化方針です。

 

 

私のフィジカルピラミッドは4つの階層に分かれています。

 

最下層から順番に、

 

・日々を精力的に過ごせる

・怪我をしない

・技術発揮できる

・強く速く動ける

 

という形になっています。



◯第一層:日々を精力的に過ごせる

まず前提として、サッカー以外も人生ですし、人生全体を豊かにしたいと思っています。

(また、人生の豊かさがパフォーマンスに繋がるとも思っています。)

 

競技活動の時間で全力を尽くしたいのはもちろんですが、オフの日や遊び、家族友人との時間といったことも全力を尽くしたいです。

競技活動精一杯やって、それ以外の時間はボロボロで、何をする気力も湧かないような状態は望むところではありません。

 

また、心身一如と言いますから、体に問題があると心にも影響が出ます。逆に、体が元気なら心も元気にすることができます。

 

豊かな人生には前向きなマインドが必要ですから、精神的な部分も考えて、土台となる体を作ることが1番最初にきます。


◯第二層:怪我しない

二層目から競技性が出てきます。

競技をする上で1番なのは、怪我しないことです。

 

サッカーをする喜びも、成長の実感も、実際にプレーしていなければ得られません。

例えば、急激な体重増加で関節に負担をかける、とか、筋肉が炎症を起こしているのにトレーニングを行う、といったことは避けるようにします。

◯三層目:技術発揮ができる

三層目は技術発揮です。

例えば簡単な話、筋出力は筋断面積に比例しますから、筋肉は大きければ大きいほど力発揮できることになります。

しかしながら、筋肉が肥大すればするほど物理的な可動域の制限が発生しますし、増量によるプレーの鈍化が発生したりします。

 

どれだけ体を鍛えても、技術を発揮できなければ本末転倒です。

GKとしてプレーモデルを確立して必要な技術を明確にし、それに対して最適な体を作ることが次の優先順位になります。


◯四層目:強く速い体

最後に純粋なフィジカル要素となります。

先に述べた3つの階層(目的)満たしながら、筋量、筋力、モビリティ、といったことを強化していきます。

 

以上4つの層を持ったピラミッドを自分はフィジカル強化の指針としています。


ここで補足しておきたいのは、それぞれの階層は相互に関連していて、1つのアクションが1つの階層(目的)のみに結びつくわけではないということです。

例えば現在自分が行っている筋トレも、第4層の純粋なフィジカル能力向上だけが目的ではありません。

第2層の怪我予防の意図もあり、

 

そのために、

・ストレッチをかけながら行う

・適切な重量設定

・無理な挙上はしない

といったことがトレーニング方法の部分で影響を及ぼしています。

 

また、第1層の観点もあり、

・基礎体力の向上

・ボディメイクによる審美眼的観点の魅力アップ

・継続力の獲得(習慣獲得の練習)

といった意図もあります。

このように、このピラミッドは全体が連動しながら作用しており、「なぜ、それをやるのか」という問いに対して、自分なりに答えを出せるように設定されています。

もちろんこれはあくまでも“方針“です。ディティールの部分は常に勉強が必要ですし、具体的な選択に関しても常に精査されなければいけません。

正解があるものではないと思いますが、自分はこのような方針をもって、日々トレーニングをしています。

一アスリートの考え方として、誰かの参考になったら嬉しいです。

今年は自分の弱さをちゃんと認めて、人を頼って、素直に生きていきたいと思っています。

 

そのためには、自分のソフトな部分を公開していくことが必要になるなと感じています。

 

弱い部分、影の部分、柔らかい部分、今まで隠してきたそういったところを誰かと共有する。
それがなければ人に頼ることも素直になることも難しいように思います。

 

 

しかしながら、このソフトな部分を公開する、
・相手
・タイミング
・場所
・公開の仕方
は深く注意しなければいけません。

 

 

私の仕事は人前に立つ仕事ですし、多くの人に支えられて成り立っている仕事です。
そこには責任があるし、示すべき姿があります。

 

例えば試合前、プレッシャーに苛まれてナーバスになってたとして、それをピッチの中で表現するべきではありませんし、
試合後、望んだ結果じゃなかったとしても悲観的な顔をして被害者のような振る舞いをするべきではありません。

 

社会人として結果を引き受けることは大事ですし、(それは時に苦しいことですが)そこで自分の弱さを出すことは不誠実な態度になります。

 

 

また、例えばチームメイトとのコミュニケーションにおいても、彼らはファミリーであると同時に競争相手でもありますから、なんでもかんでも自分の思ったことを無神経に表現するのも適切じゃありません。

 

しかしながら、聞いてくれる相手が家族ならば、その遠慮のない表現も受け止めてくれる場合があります。

 

それなりに親しい相手でも関係性のタイプは様々で、相性によっては言い方伝え方を工夫する必要があるかなと思います。

 

 

自分のソフトな部分を認めて公開すると決めたからこそ、出すとこ出さないとこのルールははっきりさせる必要があります。

 

幸いにも、チームメイトやサポーターはもちろん、家族や友人など自分を支えてくれるたくさんの人がいます。

 

それぞれのコミュニティに受け止め方があって、その種類の数だけ僕は甘えられるなって思います。

 

 

本当にありがたいと思います。
今までだってたくさん支えられてやってきましたが、もっともっと甘えていきたいと思います。

 

また同時に、誰か甘えるからこそ、自分も誰かの力になれるように頑張っていきたいと思います。

今年はやりたいこと(獲得したい能力)がたくさんあります。

今回はそれを書いていこうと思います。

 

試合に出るとか、筋肉量を増やすとか、そういう競技レベルの話ではなくて、一人の人間として、これからの人生をもっと良いものにするためにやりたいこと、って感じです。

 

 

今年やりたいこと(2026年1月時点でやりたいと思ったこと)は、以下の通りです。

 

1.人を頼る

2.IPを増やす

3.メンタルを強くする

4.素直になる

5.否定的な表現をする

 

この5つです。

 

 

 

〇人を頼る

これは前回のブログにも書いたこととなります。

1人で頑張ることの美徳も悪くはないですが、それだけじゃない考え方を自分の中に作っていきたいです。

大きな目標は1人では達成するのが難しいですし、達成した時の喜びも仲間と一緒の方が大きいです。

 

あとは、これは前回のブログに書かなかったのですが、”人を頼る”ということは、”≒頼らない人をはっきりさせる”ということにもなると思っています。

 

後述の「メンタルを強くする」とか「否定的な表現をする」とかにも繋がるのですが、今までの自分はある種”嫌われたくない症候群”で、色んな方面からの見られ方を気にしていました。八方美人です。

それによって得られた恩恵もありましたが、自分が理想とする生き方を考えると、それは脱却しなきゃいけない考え方だなと思います。

他人の目を気にしていると、不安が強くなりますし、決断を先延ばしにしがちになります。

 

人を頼ることがかえって自分の輪郭をはっきりさせることになります。

自己実現のためには”自己”が成熟している必要がありますから、自己を確立するためにも人に助けを求めることをできるようになりたいと思います。

 

 

〇IPを増やす

「IP」とは知的財産のことを言います。

この単語はマラソン選手の大迫傑選手がNumberというスポーツ雑誌で言っているのをみて知りました。

 

”知的財産を増やす”というとはどういうことか、となると、例えば、

・自分の経験や思考を言語化して公開する。

・誰かと何かを協力する時に、その人となぜ協力して、どのような取り組みをどのような意図をもってやっているかを公開する。

・目標達成に向けたプロジェクトの参画者を増やす。

といったことが考えられます。

 

成果によってもたらされるIPももちろんあって、むしろサッカー選手としてはそちらの方が大きなものになるのですが、その成果IPは水物で、すべてを自分の力でコントロールできるものではありません。

成果IPの一本足打法ではなく、プロセスエコノミーのような構造によるIPの増加をしていくこともやっていきたいと思っています。

 

また、”自分の「価値」を高める”という表現ではないのにも理由があります。

「価値」というものの本質的な役割として、何かと交換できるというものがあるんですが、それはある種他者評価に起点がある考え方だと思います。

他人からの評価を考えながら、それに合わせるように自分を高めていく、というマインドよりは、自分の中で納得いくものを積み上げていく、という考え方の方が自分の性に合っています。

 

知の蓄積とそれの公開による構造IPを増やしていくこと、やっていきたいです。

 

 

〇メンタルを強くする

正味、自分メンタル弱いんですね。

だから強くしたいです。

 

今までもいくつか勝負どころがありましたが、勝負どころと思えば思うほどネガティブなイメージが連想ゲームのように膨らんでいったり、身体感覚としても腹の底がヒュッとなったり背中に冷たい汗が滴る感覚があったりしました。

 

そのネガティブな反応に気を取られるとパフォーマンスは低下しますし、結果も遠のいていきます。

 

勝負所、プレッシャーのかかる場面でもそこに居心地の良さを感じていたいです。

 

多分まったくネガティブが湧かなくなるなんてことはないと思います。

けど、同じかそれ以上に楽しいという感情が湧いてくるし、その楽しい部分に注目して心地よさを感じていたい。

ネガティブな反応に気を取られてパフォーマンスが落ちるなら、その逆もまた然りだと思います。

 

良い感情で勝負に臨んで、そして高いパフォーマンスを発揮したいです。

 

 

〇素直になる

自分の心に素直になりたいです。

 

自分はメンタルが弱い、とさっき言いましたが、今まではこうした自分のソフトな部分を表に出すのはいけないことだと思っていました。

また、メンタルが弱いという弱点的な話だけでなく、例えば「寂しい」とか「甘えたい」とかそういう子どもが表現するような欲求を表に出すことも悪いことだと思っていました。

 

でも、結局こうした部分を抑圧しても、なくなるわけではありません。

むしろ抑圧した欲求は他者に投影される形で表現されてしまうので、結果的に自分の人生にとって良い状況にはなりません。

 

先のメンタルの話で言えば、「自分はメンタルが弱い」と認めないで生き続けた結果、普段は虚勢を張れていても土壇場でネガティブが湧いてきてしまいます。

欲求も同様で、「甘えたい」「安心安全を感じたい」と心の底で思っているのに抑圧すると、実際にちゃんと甘えを表現できている人に嫉妬したり、わざわざ緊張感のある場面を作ってしまったりします。

 

豊かに生きるとか、パフォーマンスを発揮するとか、そういうことを考えるとやっぱり素直になりたいです。

 

自分に対して、「甘えていいんだよ」「安心安全を求めていいんだよ」「怖いよね」って言ってあげられるようになりたいです。

 

 

〇否定的な表現をする

嫌なことに嫌と言ったり、おかしいことにおかしいと言ったり、ちゃんとNO!を言えるようになりたいです。

今までは婉曲表現で意思を伝えたり、そもそも沈黙を保ったり、そういうやり方でその場その時をやり過ごすようにしていました。

けど、先の「素直になる」のところでも言いましたが、そのようなコミュニケーションは自分自身に我慢や抑圧を強いていますから、それは結果的に良くない形で他者に投影されます。

ですから、ネガティブな意見でもちゃんと伝えるようにしたいです。

 

もちろん言葉やタイミングは選びます。

思ったことをすぐいうのは幼稚なことですし、それはそれでよくない状況を生みます。

 

そこに注意は払いつつも、今までのような抑圧した姿勢でいくのではなく、思ったことはその場その時の内にコミュニケーションをとることが出来るようになりたいです。

 

なんならこれが出来る方が関係性を深めることが出来る気もしています。

相手へのリスペクトを保ちながら、自分の中のネガティブも伝えられるようになりたいです。

 

 

ーーー

 

 

以上が今年やりたいことです。

 

5つのやりたいことを書きましたが、これらは相互に関連しているものですし、どれか1つできるようになればほかのなにかもできるようになる気がしています。

 

このやりたいことも、それこそ色んな人の助けを借りながら実現したいと思います。

 

どうかこれからも応援よろしくお願いします。

今年は周囲の人に助けを求めていきたい。

 

今までは1人でやることにある種の美徳を感じていたし、なんなら孤独じゃなきゃいけないくらいに考えてた節もある。 

けどやっぱり1人でできることには限界があるし、誰かの力を借りた方が目標も近づく、というか力を借りないと俺は目標達成できない気がしてる。

 

もちろん自立しなきゃいけないし、誰かの力に頼り過ぎて”自分の人生”を生きれなくなるのは避けたい。

 

どんな形で人に助けを求めるのがいいのか、とかはまだ全然イメージ出来てないけど、人に頼ることが目標のためには必要な気がしているし、それができるようにならないともう一段階上にいけないと思う。

 

人に助けを求めるから、他人の目が気にならなくなるような気もする。

積極的な関わり合いがかえって不健全な関係を断ち切る気もする。

 

 

ともかく成長したい。

ビッグになってもっとたくさんの人を笑わせたい。

 

手伝って欲しいし、助けるに値しない振る舞いをしていたら厳しく指導してほしい。

 

 

どうか今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。
2026年、今年もよろしくお願いします。

 

 

年末年始は実家に帰り、しこたま実家飯を食べていました。


ほんの一瞬、一晩だけでしたが、体重が88kgまで増えていました。

シーズン中は83kg前後で過ごしていたので、数日で約5kg増えたことになります。

さすがに自分でもびっくりしました。

 

ただ、これもまた驚いたのですが、一晩寝て、適度に体を動かし、いつも通り排泄して、そんな“いつも通りの生活”を1日過ごしただけで、気付けば体重は84kgほどまで落ちていました。

 

2025年は過去一フィジカルコンディションが良かった年でしたが、代謝もかなり良くなっていたみたいです。
シーズン中のような過ごし方を少しするだけで、想像以上に体は反応してくれました。
 

 

20日のファン感謝祭を終えてから数日間は沼津にいて、イベントに参加したり、体を動かしたり、チームメイトとお酒を飲んだりして過ごしました。

 

その後、実家に戻ってからは安静にする時間が増え、運動するとしてもジョギング程度。
一度だけ、学さんと茂夫と一緒に奥多摩へトレイルランをしに行きました。
そこは少し強度の高い一日になりましたが、それ以外はゆっくりとした時間が多かったです。

 

 

オフシーズンは、人に会いに行くことが多かった気がします。
高校時代の浦和ユースの同期で集まったり、群馬で一緒にプロになった同期と会ったり、高校時代の友達に会いに行ったり。
実家の湯河原から、東京や埼玉方面へ何度か出かけました。

 

湯河原の友達は、もうほとんどみんな町を出ていて、仲の良かった奴らは全員結婚しました。
 

2、3年前、24〜25歳の頃に同級生の結婚ラッシュがありましたが、今はそこからさらに時間が経ち、子どもがいたり、家を買ったりしている人が増えています。

 

年末には、友達の一人の新築の家にもお邪魔しました。
一緒に放課後の校庭で遊んでいた奴が、家を買っている。
思わず感嘆の声が出ました。

ライフステージの変化を、はっきりと実感します。

会話の話題も変わり、それぞれの人生が次のフェーズに進んでいるんだなと強く感じました。

 

 

元日は実家で過ごし、2日は父の実家、祖父の家へ行きました。
親戚が大集合し、昨年生まれたばかりの姪っ子にも初めて会いました。
生後100日のお食い初めをしていて、こんな行事があるんだなと学びました。
(ちなみに、僕も兄も弟もお食い初めはやらなかったそうです。)

 

とても小さな姪っ子の姿を見ていると、自然と自分たちの子供の頃の話になりました。
僕は声が大きく、やんちゃで、癇癪持ち。なかなか大変な子だったみたいです。

 

両親はもちろん、当時可愛がってくれた親戚のみんなに対して、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。
また、当時からかなりの食いしん坊だったようで、生後3か月で体重は10kg。
よく泣いて、そのたびにミルクを飲んでいたそうです。

 

 

素晴らしい年末年始を過ごし、沼津に戻ってきました。
叔父さんが作った野菜や漬物。
おばあちゃんが作ったお餅とあんこ。
家族との会話の中で改めて感じた愛。

 

たくさんのものを持たせてもらい、実家を後にしました。

 

 

2026年、頑張ります。
きっと色んなことがあると思いますが、
この尊い気持ちと大きな夢を胸に、戦っていきます。

 

チーム始動までの時間を使って、また着々と準備を重ね、最初から全開で。

 

2026、ファイヤー!!

 

 

今年もよろしくお願いします。

前回と似たような話となります。

声を聴いてあげること | 山田晃士のブログ

似た話で恐縮ではありますが、お付き合いいただけると幸いです。

 

ーーー

 

前回のブログでも書いたのですが、脳の中では、一日に何万回もの“脳内トーク”が流れているそうです。

 

前回は、

・その数万回の思考の内の多くが無意識の内に処理されていること。

・意識の下に顕れる数少ない声くらいは向き合ってあげようよ。

・意識下に顕れる声を、より早く、より多く処理することが集中力を上げるカギなのではないか。

こんな話をしました。

 

 

今回したい話というのは、

 

その頭に聞こえる声って全部が自分の声というわけではないんじゃない?

 

という話です。

 

 

たしかに、自分の頭にしか聞こえてこない声なので、自分で考え付いた思考ではあります。

しかし、実際に湧いてくる思考の中で、自分の目標や理想にとって真に必要な声ってどれだけあるのでしょうか。

 

他人からの期待。昔言われた言葉。社会の「こうするべき」。

そうしたものがまるで自分の声みたいに聞こえてくることがありますが、それは果たして本心から出た声なのでしょうか。

”自分の人生を生きる”みたいなことが多くの場面で標榜されていますが、案外自分の頭の中は自分以外の声に溢れている、ということがあるんじゃないかなと思います。

 

 

 

こう書くと、自分以外の声というのはどれもネガティブなもので、良くないものとして捉えられるかもしれません。

ただ、自分以外の声にも、ポジティブなものがあると思っています。

 

 

感覚的な話になってしまいますが、サッカーをしていると、“神の声”みたいなものを感じる瞬間があります。

 

考えるより先に、体が最適な選択をしてくれるとき。

自分でも「なんで今これができたんだ?」って思うようなプレーが出るときです。
 

自分が想定した範疇を上回り、体が動き、結果が出る。

意識の下にある声だけでは到底追い付かない判断の速さと精度をもってプレーをすることできた時というのは、頭の中に”神の声”が聞こえたからなのではないかと思います。

 

「神の声」なんて言うとスピリチュアルっぽいですが、僕はこれは科学的にも説明できると思っています。

 

1つは心理学の”ゾーン”と言われるものです。

フロー状態とも言われるこの状態は、目の前の作業に没頭し高い集中力とパフォーマンスを実現します。

この時に自身の思考は目の前の作業に関連すること以外のことは思いつかず、その没頭感はある種、自身の意識下の思考を超えた範疇で思考が回転しているとも考えられます。

 

もう1つ脳科学の観点からも考えることが出来ます。

人間の脳は、意識しても思い出せない記憶も含めて、膨大な経験をネットワークとして保存しています。

そして無意識が、その膨大な情報の中から“1番成功確率の高い選択”を瞬時に引き出してくる、結晶型の思考というものがあります。

これもまた「神の声」に近いんじゃないかなと思います。

 

意識して考えるスピードでは間に合わない状況でも、無意識はもっと速く、もっと正確に動いてくれています。

プレー中に自分が驚くような動きができる時があるのは、その無意識の働きを体に落とし込むことができたからだと思います。

 

 

だからこそ、生きるうえでもサッカーをするうえでも、この“神の声”に気づける状態でいたいなと思います。

 

他人の声や、不安や、余計な雑音に支配されていると、脳が出してくれた最適解に気づけなくなってしまいます。

色んな声が頭に聞こえてきますが、本当に大切な声だけに応えてあげたいです。

 

自分の声を拾える状態でいること。その声に素直に従える選手でいたいと思っています。

 

 

神の声を聞け、最近はそう自分に問いかけています。

色々な声が頭に湧いてきます。

脳が一日に思考する回数は、諸説ありますが4万〜6万回とも言われています。
その数万回の思考の一部が「声」という形になって、自分の頭に語りかけているのだと思います。

人間の脳は、意識よりも無意識の領域の方がはるかに広く、多くの情報が無意識のうちに処理されています。

つまり、数万回の思考がすべて意識下に現れているわけではなく、ほんの一部だけが自分で認識できる範囲に出てくるということです。

全体の総数で見れば、頭の中で自分が意識できる声なんてごく一部。
けれど、多くの人がそのわずかな声さえも無下にしてしまっているのではないかと感じます。

少なくとも自分自身は、最近まで頭の中の声としっかり向き合ってこなかったように思います。

生活のほとんどの時間は、習慣やルーティンで構成されています。
同じような時間に同じようなことをして、それを繰り返している。

もちろん細かな部分で違いは生まれますが、少し大きなスケールで見れば、だいたい同じ時間に同じ行動をしています。

そんな安定したパターンの中でも、頭の中に湧く声は日々変わっていきます。
ただ、どうしてもそのパターンの安定感が優先されて、
自分の声と向き合えていないことが意外と多いのではないかと思います。

自分の頭の中に湧く声は、すべてがポジティブなものではありません。
むしろ、ネガティブな声の方が多いと感じます。

そうしたネガティブな声にちゃんと向き合ってあげないと、いつの間にか悪しき、易き道に流されてしまいます。
しかも、自分では気づかないうちに。

ネガティブな声に流されて、余計に苦しい状況に陥ってしまうこともあるかもしれません。

では「向き合う」とは、具体的に何をすることなのか。

それはとてもシンプルで、

「今、自分はこんなことを考えたんだな」
「こんな声が湧いてきたな」
と認識するだけでいいと思います。

わざわざ日々のパターンを強引に変える必要はありません。

自分自身も最近、この“脳内トーク”にちゃんと向き合えていなかったことに気づきました。
そして、その気づきとともにひとつ思ったことがあります。

集中力が高いというのは、
「頭の中の声を徹底的に処理できている状態」

なのではないか、ということです。

サッカーは展開が速く、脳内に聞こえる声も多くなります。
その声を無視してしまうと、無意識のうちに“悪しき道”に流されてしまう。
スポーツで言えば、自分の理想のプレーから遠ざかる選択を
無意識にしてしまうということです。

速い展開の中で、頭に湧く声を素早く、正確に処理できればできるほど、集中力が高い状態と言えるのではないかと思います。

逆に言えば、自分の中に湧いてくるすべての声に注意を向けていれば、
自然と集中力の高い状態を作れるのではないか。

ある程度の経験を積んでいれば、目の前の状況変化や周囲の要求に対して、体は自然に反応してくれます。
だからこそ、次のアクションを考えるのではなく、
「今、頭の中にどんな声が湧いているか」

を感じるだけでいいのではないかと思います。

思考は1日に数万回行われている。
そのうち意識下に現れるのはほんの一部です。

意識下で次の行動を考えるよりも、意識下では「自分の声」に注意を払うことの方が、より良いパフォーマンスに繋がるのではないかと感じます。

もちろん、これは学術的な話ではありません。
心理学者でも脳科学者でもないので、間違っている可能性もあります。

ただ、経験的に感じたこととして——
頭の中に湧いてくる声に丁寧に向き合うことが、
パフォーマンスを上げる鍵になるのではないか。

最近、そんなふうに思っています。