「他人に矢印を向けるな。自分に矢印を向けろ。」
と、スポーツ以外の場面でも良く言われる言葉があります。
全くもって正論だとは思いますが、「他人に矢印を向けないこと」と「自分に矢印を向けること」は結構異なる行為だと感じております。
2つの行為の距離が近ければ、両方同時に実現するのは容易いと思います。
しかし、この2つの行為は距離がある行為なので、同列で語るのは適切ではありません。
1つ1つ別々に取り組む方が良いと思います。
二兎追って一兎も得られない状態は避けなければいけません。
まずは「他人に矢印を向けないこと」から始めた方が良いと思います。
むしろそれだけで良いとすら思います。
「自分に矢印を向ける」のはとても難しいです。
自分を批評すること、自分をプッシュすること、自分を律すること、簡単ではありません。
自分の力のみでそれらを行うのが難しい場合も多々ありますし、それら行為のストレスが余計に「他人に矢印を向け」させたり、「自分に矢印を向け」てる“風“で終始してしまったり、結果良い時間を過ごせないことに繋がることがあります。
だからまずは「他人に矢印を向けないこと」だけに注力すべきです。
言い換えれば被害者意識からの脱却です。
「なんでこうなってるんだよ。」
「こんなはずじゃないのに。」
「もっとああしてくれればいいのに。」
「どうしてそんなことするんだよ。」
うまくいかなくて誰かのせいにしたい気持ちが出てくるのは当然だし、自分の振る舞いに落ち度がなくても物事がうまく進まないことだって多々あります。そしたら尚更そう思います。
とても苦しいことです。
最後に付け加えてください。
「でも、私は被害者じゃない。」
虐げられた存在、弱い存在、小さな存在、“被害者“という言葉の裏にはこんな認識が流れています。
被害者意識を持つこと、つまり自分で自分を被害者と認識することは、虐げられる存在としての自分を認めることになります。
違います。
誰しも強みはあるし、虐げられて良いわけないし、十全な魂があります。
人は希望や活力に幸福を見出します。
被害者意識を脱却することは自分の中の光を強くすることだと思います。
自分に矢印を向ける前に、幸せになっていきましょう。